観覧車で。

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観覧車で。

 昼食を食べたあと、二階堂は彩人の望みを叶えてくれた。  田町にある二階堂のマンションまで一緒に電車で行き、彼の車でお台場に向かったのだ。  彼の住む賃貸マンションは十五階建ての新築だった。部屋までついていかなかったから(駐車場で待っていた)詳しことは分からないが、外観から察するに家賃は相当高いはずだ。  お台場海浜公園まで車で十五分だった。駐車場で車を止め、とりあえずレインボーブリッジを眺めながら運河沿いを歩いた。  たまに立ち止まって気まぐれに彩人が写生しても、二階堂は嫌な顔一つせずに、隣に立ちスケッチブックに顔を寄せてきた。  また彼のオードトワレの匂いがした。  落ち着きがなくなり顔が熱くなり、鉛筆を持つ手が震えそうになる。  少し距離が近くなるだけでこの体たらく。  恋愛対象として好きになってくれる可能性はない。今後セックスすることもきっとない――そんな相手に、みっともないほど執心してしまっている。  彩人は写生をやめて、目を瞑った。風のざわめきが耳に響いた。ほんのり潮の匂いを感じる。二階堂の香りは消えてしまった。 「そろそろ観覧車に乗りに行くか」  二階堂が肩をポンポンと叩いてくる。上司が部下に気軽に声をかけるような、包容力が垣間見える仕草。 「はい」  いつまでこうしていられるだろう。相思相愛になれなくても良い。キスもセックスもしなくて良い。ただ彼の傍にいたいと思った。  パレットタウンの観覧車は思ったよりも怖い乗り物だった。  シースルーゴンドラ。  床まで透明で、ジャンプしたら割れるんじゃないかと思うほどだった。  彩人は実は、高所が苦手だった。 「乗りたいって言ったのはお前だろ」  二階堂の隣に、隙間なく彩人は座っていた。怖かった。 「ほら、俯瞰して見たいんだろ。お台場の風景を」  茶化すように言って、二階堂がわざと彩人から距離を取った。人一人分のスペースが間にできて、彩人は慌てた。 「怖いんですって。こんなに高いと思わなかった」  ちょうど観覧車はてっぺんに辿り着いていた。 「ここで緊急停止とかしたら、お前どうする?」  そんなこと、考えただけで体が震える。 「意地悪言わないでくださいよ」  彩人は深呼吸を繰り返した。  怖いものは怖い。が、やっぱり、地上115メートルから眺められる景色は目に焼き付けておきたい。  眼下に広がる東京湾は、太陽の光を浴びて白く輝いていた。空は淀みのない白藍色だ。 「綺麗ですね」  視線を水平線に固定したまま、彩人は呟いた。 「スケッチしなくて良いのか」  いつの間にか二階堂が元の場所に座っている。やっぱり彼は優しいと思う。 「俺、映像記憶の能力がそこそこあるから」 「凄いじゃん。一瞬見たものを詳細に覚えてるんだろ? 山下清みたいに」 「山下清ほどじゃないですけど。じっくり見たシーンは細かく覚えてます。覚えていられる期間は短いけど」 「それでも凄い」  二階堂が羨望の眼差しを送ってくる。 「二階堂さんも、絵とか描いてたんですか」 「俺はそんなには」  急に彼の口ぶりが重いものになった。 「そんなにってことは、ちょっとは描いてたんですが」  困った顔をする二階堂なんて滅多に見られないから、彩人はつい言及してしまった。 「中学までは油彩をちょっとな。あり得ないぐらい上達しないからやめた。描くより観る方が性に合ってる」 「そうですか。二階堂さんの絵、見てみたいな」 「絶対描かない」 「俺の肖像画とか」 「絶対描かないって」  二階堂が手を横に振って断言する。  観覧車はゆっくりと下降していく。でも、もっとゆっくりでもいいのに、と彩人は思った。 「明日も行くから」 「え?」 「お前の部屋。昼頃に食材持って。何が食べたい?」  彩人が明日も暇だろうと決めつけた物言いだ。ちょっとむかついた。 「二階堂さんって暇なんですか。連日で部下の家に来るって」 「暇じゃねえよ。明日は午前中だけ出勤するんだから」  二階堂が前髪をかき上げてため息を吐く。休日出勤が嫌なのだろう。でも正社員だから仕事が忙しい。アルバイトの自分とは立場が違う。早乙女も明日、休日出勤だったりするんだろうか。社長も土日に会社に来ているらしいし。 「――俺の部屋に来るぐらいなら、早乙女さんとデートしたら良いじゃないですか」  自分が卑屈になっていくのが分かる。 「二階堂さんが放っておいたら、他の男が言い寄りますよ。早乙女さん美人だから」 「お前に心配されたくないね」  二階堂が苦笑しながら言う。その表情は明るい。早乙女と安定した関係を築けている証拠だ。 「そろそろ終わりだ」  二階堂が窓の外を見た。一つ前の箱が地面に着きそうになっている。 「今日はありがとうございました」  なんとなくお礼が口から割って出た。 「明日も行くからな。何食べたい?」  本当に強引な人だ。でもそういうところも好きだ。  流し見てくる、ちょっとクールな目も。  悔しくなって、作るのが難しいメニューを頼もうと試みる。 「松花堂弁当風」 「なんだよそれ。面倒なオーダーだな。ケースないし」  二階堂が歯を見せて笑った。  けっきょく日曜日は、二人で昼食を作った。狭い狭いキッチンで。  焼き物、煮物を手分けして作り、刺身はスーパーで買ってきて、ご飯は一合半炊いて。  美味しかった。
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