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悪い波2
土曜日の正午。彩人が昼食を摂っているときに、いきなり二階堂から電話がかかってきた。久しぶりの電話で、不覚にも胸の鼓動が早くなった。
「今すぐ会社に来い」
「えっ?」
浮ついた気持ちが一気に吹き飛んだ。初めて聞くような二階堂の厳しい声に、スマホを持つ手がぶるりと震える。
彩人は手作りのオムライスを残したまま、会社に向かった。
「月島くん、一体どういうこと?」
会社に着いたとたん、辻井が彩人に詰め寄ってきた。彩人は何が何だか分からなかった。
『紙もの。』の島だけ嵐が起こっているようだった。社員が皆、出社している。カタログの原稿は終わって、あとは印刷会社から流通センターに届くのを待つだけだ。忙しいはずがないのに。嫌な胸騒ぎがした。
「さっき放送された『とことこブランチ』見た? けっこう視聴率が高いロケ番組」
「いえ、見てません」
彩人の部屋にテレビはあるが、滅多に見ることはなかった。
苛ついたように爪を噛んで、辻井が続きを話し出す。
「今日は『阿佐ヶ谷特集』だった。クリエイター向けの箱貸しのショップも出てきて、そこで月島くんのデザインしたキャラと瓜二つの商品が紹介されてたのよ。田畑さんの『オカピ』。レターセット、ポストカード、消しゴム判子まであった。どういうこと?」
「どういうことって」
言われていることの半分も彩人には飲み込めなかった。
「これ見て。田畑さんのインスタ」
スマホに映っているのは、彩人がデザインした『ブサカワ動物シリーズ』の『オカピ』だった。ピンと立った耳、伏し目がちの黒い目、カールした睫毛。綺麗な縞模様の脚。
――俺の作ったキャラと全く同じ。でも色使いは微妙に違う。
そこまで考えて、彩人は思い出した。
「もしかしたら……俺、田畑さんにヘナタトゥーでオカピを描いたんです。それを真似されたのかも」
心当たりはそれぐらいだった。
全身に嫌な汗が浮かんだ。自分が取り返しのつかないミスを犯したことは認識できた。
辻井が項垂れ、長いため息を吐いた。
「いま印刷会社に連絡して、印刷を取りやめにしてもらったところよ。『オカピ』を載せるわけにはいかない。こっちが盗作したことになっちゃうから」
「そんな――」
「テレビで大々的に田畑さん名義のキャラで出ちゃったんだから! しょうがないでしょ!」
辻井が彩人に冷たい一瞥を放った。
「田中、差し替え用のページ、目途ついた?」
「まだですよ。いまやれって言われたばかりですよ?」
田中はまだパニック中だった。
他の社員も、電話していたり、過去の自社カタログを読み漁っている。
「チラシは刷っちゃったのよ。どれだけ損害が出るか」
彩人は立ち竦んだまま、嵐が続くデスクを眺めた。
そこに二階堂がやってきた。
「月島、会議室に来い。辻井も」
彩人は二人の後ろを、下を向きながら歩いた。会議室までの道のりが遠く感じた。
会議室には企画部長のほかに数人の役職が座っていた。
彩人は先ほど辻井に話したことを、もう一度彼らの前で説明した。
会議室の空気は暗い。
「月島くん――社外秘の情報を外部に漏らさない――これはどこの会社でも鉄則だよ」
企画部長が呆れた口調で言った。怒りよりも呆れ。もう彩人には期待していない、と彼の冷めた目が語っている。
「うちの会社はオリジナリティを大事にしてるのよ。盗作したってなったら、会社のイメージがガタ落ちする。盗作された方がマシなのよ。同情されるから」
辻井が追従した。彼女も怒りを通り越して呆れている。
「月島くんは試用期間中だったよね。アイディアやセンスはあるようだけど」
役職の一人が口を挟む。
辻井は首を横に振ってため息を吐いた。
「物づくりの才能はあるんだろうけど、月島くんに仕事を任せるのが怖い。社会人としても常識が欠如してる」
「そう。二階堂くんは?」
企画部長が二階堂に意見を求めた。彩人の緊張はピークに達した。喉がカラカラになり、脈は速くなる一方だった。
「この件に関しては庇えません」
二階堂は彩人を見ることもなく、意見を口に乗せた。
――そうだよな。俺のミスは誰も庇えない。
辻井の言う通り、社会人としての常識が欠如しているのだろう。気楽に田畑の手に『オカピ』を描いて、何の戸惑いもなくキャラクターデザインのサンプルとして『オカピ』を提出した。色々とずれているのかもしれない。
「きみは過去にも無許可で落書き行為をしていたし――色々ちょっとね……」
自分が犯した過去の違法行為に、こんな形で脚を引っ張られるなんて。
会議室が暫し静まり返ったあと、彩人への審判は下された。
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