プレゼンのレクチャー

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プレゼンのレクチャー

 昼休憩から戻るとすぐに、二階堂は『サニーデイ』の島にやってきた。 「二時から三時まで、月島借りるから」  彩人の隣に座っている高松に端的に言って、すぐ『紙もの。』の島に戻ろうとする。 「え、ちょっと待ってください。こっちは猫の手も借りたいくらい忙しいんですけど」  高松が慌てたような顔をして、身を乗り出した。 「月島には雑用しかさせてないんだろ。一時間ぐらいいなくても平気だろ」  二階堂が面倒臭そうに高松を見て言い返す。 「電話に出てくれる人がいなくなるのは困るんです」 「お前が電話応対苦手だからって、新人に押し付けるなよ」 「そんな――別に苦手ってわけじゃ」 「月島が席を外してるとき、ここの島の電話鳴り続けてるだろ。俺が代りに取ったことあるぞ」  二階堂の言葉で、高松は言い返せなくなった。口をへの字にしたまま浮かせた尻を椅子に戻す。  彩人は遠ざかる二階堂の背中を、感心半分、呆れ半分で見送った。  よく他の部署の状況を見ているなと思う。管理職に向いているタイプだろう。出世しそうだ。  ――でもほんと、女性にも容赦ない。  言いづらいことも割とハッキリ言ってしまう。 「月島くん、一時間席空けるならその分ちゃっちゃと働いてよ」  不機嫌そうな声で、高松がバンバン仕事の指示をしてきた。  二時から三時までは、椅子が六脚しかない小会議室で、二階堂からプレゼンのレクチャーを受けた。  ノートパソコンを一台テーブルに置き、パワーポイントを開いて、プレゼン資料を見せられながら説明を受ける。 「表紙はキャラの名前と、耳に残るようなコピーを入れて」  社外秘の、二階堂の作った資料は、とにかく見やすかった。色使いもカラフルで、でもシンプルで、思わずページを捲りたいと思わせられる。  ――こんなの、すぐ作れって言われてもなかなか。 「じゃあ次の資料見るか。そのフォルダからBっていうの選んで」  テキパキと指示されて、彩人は焦りながらマウスでスクロールしながらBのファイルを探す。 「遅い。貸せ」  マウスをさっと奪われる。その瞬間指先が触れた。自分より少し太くて、でも器用そうな、爪まで整った指だ。マウスを操作する指に視線が止まってしまう。 「おい、ちゃんと見てろよ。よそ見するな」 「すみません」  隣に座っているせいか、彼がオードトワレを付けていることが分かった。いつもはこんなに近寄らないから、気がつかなかった。  シトラス系。品があって、つけてから数時間経てば消えるぐらいの、押しつけがましくない香りだ。  ――なんか……お洒落な人だよな。  彩人は気持ちを切り替えて、ノートパソコンのディスプレイに注視した。そこには、『紙もの。』創刊のプレゼン資料が映し出されている。 「最初は『売れないだろ』って反対されてたんだ。二回目のプレゼンでやっと社長を説得して創刊を決めた」  え、と彩人は声を出していた。二階堂でもダメ出しされることがあるのか。一度目のプレゼンで失敗することも。  彩人の表情を読んだのか、二階堂は苦笑しながら言う。 「俺だって完璧じゃない。うまく事が運ばないことだってあるよ。『紙もの。』に関しては諦めなかっただけ」  それだけ通したい企画だったのだろう。 『送料対策にも最適な価格』  PR項目に表示された文に、なるほど、と思う。『紙もの。』に載せている商品は、百円から五百円までだ。あと数百円で五千円(送料無料になる金額)になる、というときに気軽に買える価格だ。  今の市場で紙アイテムが売れるのか、という懸念に対しても、それを払拭させるアンケート調査の結果を提示している。  ――凄い。商品の売り方も具体的だし、客観性もしっかり備わってる。  まだ二十代後半だというのに、二階堂は。そこまで年が離れていないのに、自分とはレベルが桁違いだ。 「商品の一押しの部分を強調しつつ、客観性も忘れないこと。あとターゲット層との合致。分かったな?」  二階堂が早々に、まとめに入ってしまう。彼は急いでいるのかもしれない。 「なんかすみません。お忙しいのに。ありがとうございます」 「ほんとうだよ。忙しいのに何で俺が」  ぶつぶつ言いながら、二階堂がパソコンを片して片手で持った。 「俺の貴重な時間を無駄にするなよ。ちゃんと企画通せ」  二階堂が会議室のドアを開けながら、彩人を振り返った。と思ったら、不意に彩人の頭を軽く撫でてきた。 「頑張れよ」  すぐにその手は去ったのに、彩人は数秒固まったまま、何も反応することができなかった。
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