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「二人とも、琴菊の子のことが気になったらいつでも俺のところに来てくれていい。兄弟だからな」 「はい、なにか必要なものがあったら遠慮なくおっしゃってください」  喜んでうなずいた与ノ助とは逆に、紋次が首を振る。 「俺はいかねえよ」 「そんなこと言うなよ、寂しいじゃないか」  研之介が徳利を持ちあげ紋次を促した。紋次は黙って酒を受ける。 「ところで夏鈴ちゃんはどうなさるんです」 「ああ、そのことだが……さっそく与ノさんに頼みがあるんだ」  数日後の朝。  研之介は信吾と一緒に吉原の大門の前に立っていた。信吾は研之介に手を引かれながら、目いっぱい背伸びをして大門の中を覗いている。  やがてその顔がぱあっと輝いた。 「かりんねえちゃっ!」  信吾の甲高い声が響く。  吉原の大通りの向こうから、幼い少女が走ってくる。何度も転びそうになりながら、まっすぐに信吾を見つめて。 「かりんねえちゃ!」  信吾も研之介の手を振り払って飛び出した。  夏鈴の腕から小さな風呂敷包みが落ちる。それも気づかないようで、夏鈴は信吾に駆け寄り、膝をついて彼を抱きしめた。 「ねえちゃ! ねえちゃ!」 「しんご!」  わあわあ泣く二人を見下ろしている研之介も、鼻の奥がつんとする。  夏鈴の身請け代を払ったのは与ノ助だった。まだ幼い少女だったが、夏鈴は将来の美貌を見込まれ、かなり高額な代金となった。  一部、紋次も出している。研之介は金がなかったが、なにかことがあれば無料で伊丹屋の用心棒を引き受けると約束した。 「さあ、ふたりとも家へ帰ろう」  研之介が言うと、夏鈴は不安気な顔を向けた。研之介は笑いかける。 「大丈夫だ。もう決して二人を引き離しはしないよ」 「ほんとでありんすか」 「ああ、俺がお前と信吾を引き取ることにした。三人で暮らすんだよ」  夏鈴はまだ泣いている信吾の涙をぬぐい、鼻をかませ、頭を撫でた。それから自分の涙もぬぐった。 「家についたら――琴菊の墓参りに行こうな」  研之介は夏鈴の落ちた荷物を拾い上げ、信吾と手をつないだ。信吾はようやく笑みを見せ、夏鈴と手をつなぐ。 「帰ろう。家へ」  朝の陽ざしが白い道に三人の影を長く映した。左右の田圃の緑の稲が、きらきらと翻って手を振っている。                終
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