序 章

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序 章

 新緑が朝露で輝く五月、この街に年一度の一大イベントが開催される。俗に言う「小田原の祭り」がそれである。一大イベントというからには当然訳がある。日本全国どこに行っても神社に関わる祭典と称するものはいくらでもあり、名をはせる有名なものも沢山あるが、ここ小田原の祭りが街一番の一大イベントと言うのには他に類を見ない企画性をもってかつ街を挙げて行っている事が理由である。  新学期が始まる春四月、子供たちが新たな学年で気持ちも新たに勉学に励む中、ここ松原(まつばら)神社では氏子が集まり来月五月に行われる神輿渡御(みこしとぎょ)の最終打ち合わせを行っている。氏子総数は小田原市内で最多を誇る二十八ケ町あり、各自治会の中から選ばれた役員がこの打ち合わせに出席して祭りの段取りを決めているのである。 いわゆる明神会(みょうじんかい)役員と称する彼等は祭り本番では松原神社の本社神輿の運行を一手に引き受け、段取りから運行まで全てを企画・運営しているのである。氏子二十八ケ町という事は、当然祭りには神社の本社神輿のみならず各自治会の町会神輿が少なくとも二十八基は担がれる祭典であるが、当然神社神輿は一際大きく一番目立つ存在である事は言うまでもない。  さて、先にも述べた通りこの祭りが街の一大イベントというのには、単に神社の例大祭を執り行う事だけをイベントとしているわけではない。実はこの日、小田原市が大々的に宣伝を行う小田原北條五代祭りと称するイベントが小田原の城址公園を中心に執り行われるからである。 このイベントでは武者行列が小田原城をスタートし市内をパレードする。 ゴールデンウィーク中であり、春の大型連休も後半に差し掛かるこの日、パレードを一目見るために小田原まで足を運ぶ観光客も少なくなく、大勢の見物客でにぎわうのだ。 そんな中、パレードの最後尾に一際目立つ一行がやってくる、これが小田原を代表する四つの神社の神社神輿なのである。 小田原城を中心に北に位置する大稲荷(だいなり)神社、南に位置する松原神社、西に位置する居神(いがみ)神社、東に位置する山王(さんのう)神社のそれである。それぞれの神社神輿は地元小田原流という担ぎ方で担がれ木遣(きや)り唄を一人の音頭取りが神輿の先頭で歌うと、担いでいる者たちが斉唱する。やがて音頭取りの歌い終わるのが早いか、神輿は既に猪突猛進し先行く高張提灯(たかはりちょうちん)で待ち受ける運行責任者の立つ場所まで全速力で走るのである。 これは小田原流の担ぎ方で一番の見どころである「つっかけ」である。神輿は停止位置を示す高張提灯(たかはりちょうちん)のまさにその位置でぴたりと止まりぶれない様は圧巻である。 神輿の屋根の上に乗る鳳凰の(つばさ)は全速力で走ってきて急停止した神輿の上でもまったくぶれる事無く鎮座し、幸福と大漁と安全を羽ばたいて逃がさないという漁師の思いが、この小田原流にこめられているのである。 松原神社神輿を担ぐ担ぎ手の衣装は白色を基調とした浴衣に赤い(たすき)をかけている。浴衣は走るために尻の部分をしゃくりあげ帯に挟み込んだ着方に、目立つ赤色の襷を十字にかけるいわゆる喧嘩襷姿である。 昔から神社の祭りを知るものには少し異様に見える光景であるが、近年それに気づくものがどれだけいるのであろう。何故ならそれは付けている襷の色に問題があるからだ。本来例大祭で行う神事では、神輿の担ぎ手が付ける襷の色は紫と決められている。 本社神輿の運行で紫以外の襷を付ける事はないのである。実はこれが何を意味するのかというと、パレードに出ている神社神輿に御霊(みたま)が入っていない状態で渡御(とぎょ)を行っているという事である。これは一体どういう事なのだろうか。  松原神社の氏子である、こことある自治会では明日から始まる例大祭に向け前日からその準備に追われていた。 巷ではゴールデンウィーク中盤ともあり、町内会の人達にあっても仕事の休暇を家族と共に過ごし、今日あたりはテレビの前で始まったばかりのプロ野球の観戦でもしながらゆっくり時を過ごしたいものだが、しかしそうもいっていられず自治会の事務所に出向き、倉庫から出した町会神輿を組み立て、ぼろ雑巾片手に神輿を磨き、祭典事務所の設営の準備に駆り出されているのである。 明日、小田原では北條五代祭りによる武者行列が行われるが、この町会の祭典事務所はパレードのコースとなっているのである。 一部には三日のパレードが行われている最中に神輿の組み立てや、祭典事務所の設営を行う町会もあるが、この町会ではそうは言っていられないのだ。パレードが通るとなれば、祭典事務所の周りにも見物客が押し寄せ準備を行う場合ではない、このパレードの最後尾には、本社神輿がやってくるので、祭典事務所もきちんとした形で構えておく必要があるからだ。また、明日になればこの町会からも数名、本社神輿の担ぎ手要因として人員を出すわけなので、今のうちに全員で準備をする必要があるからだ。 別の町会では、この町会とは違い担ぎ手も多く、五月三日の当日に祭典準備が行える所もあるのだが、そう言った町会を少しだけうらやましく思う反面、実は年に一度の、この五月二日の祭典準備が、幼かった頃の思い出と共に少し血が騒ぎ始める感覚を覚えるのもまたこの時である。 やがて準備も整い、神輿もきれいに輝き始めた頃、どこともなくグラスにはビールがつがれ少し疲れてけだるい体にしみわたるようにのどをうるおす極上の時間がやってくる。 こうなるともう手の代わりに口が動き始め、遠く過ぎ去った昔の祭りの話で盛り上がる事になるものだ。 五月二日の夕暮れ時、それぞれの自治会事務所に灯りがともる頃、ビール片手につまみを食べながらまだ完全に仕上がっていない祭典事務所と担ぎ棒のついていない町会神輿を背に、楽しく盛り上がっているのは、何もこの町会だけではない筈である。
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