第一章 「お城まつり」

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第一章 「お城まつり」

 昨日のお酒が体に少し残る朝、目覚めと共にいつもと違う衣装をまとい自宅を後にした。五月三日、今日は雲一つない晴天で祭りをするには最高の気象である。 歩きながら心の中で、自分の普段の行いの良さに感謝すると共に、日中は初夏を感じる程の暑さになるだろうと少しばかりの嫌悪感。ふと見上げると、いつの間に準備されたのか、町のあちこちには既にしめ縄が貼られ、町の装いも祭り一色に変わっていた。 松原神社に着くと既に担ぎ手が集まり始め、役員は本日の運行の最終確認を行っていた。 四月半ばに「みこし磨き」と称する神社神輿の磨きは終わっているため、本日の準備は本職による担ぎ棒の取り付けが行われていた。 磨きで輝く神輿に新しいしめ縄が張られ、担ぎ棒も付けばいよいよ今年の祭りが始まるのだと心も引き締まる思いである。  その頃、小田原市の市長をはじめ本日の武者行列に参加する面々もまた、朝から甲冑(かっちゅう)を着て鎧(かぶと)を頭に乗せて準備を行っていた。本日の主役はこの北條五代武者行列である。小田原市観光協会が打ち上げるイベントの花火の音が町中にこだまする頃、小田原城には見物人が集まり始め、いよいよ年に一度の一大イベントである北條五代祭りが始まるのである。  その昔、松原神社の例大祭は四月十四日、十五日両日二日間で執り行われていた。その後、お城まつりと称する今の北條五代祭りの前進であるイベントを五月の飛び石連休(現、ゴールデンウィーク)に行っていたのだ。 お城まつりだった頃、武者行列は無くその代わりに「(まき) 伸二(しんじ)」による大名行列が行われていたのは未だ記憶に新しい。今は亡き牧伸二が扇子をもって歩いてきた時は、当時テレビでしか見たことがない人が目の前を通過する事に興奮を覚えた事は、今なおはっきりと記憶の中に残している。  さて、北條五代祭りの武者行列がパレードをするコースは、概ね松原神社の氏子町内であることは小田原市の広報を見てもわかる事である。そこで氏子の中には山車(だし)を持つ自治会がいくつかあるが、その山車を持つ自治会がこのパレードが通過する時に山車を縁沿いに出してパレードを盛り上げようと企画する町会がある。 五月三日の早朝、他の町会が神輿を出し始め磨きを行っている最中に一際大きな山車を倉庫から引きずりだして組み立てているのである。 これがいわゆる小田原型と言われる山車の形で、山車の上にはホオズキと呼ばれる提灯で囲いを作りその中で小田原囃子(ばやし)を奏でるのである。 パレードには小田原囃子多古保存会も参加しており、このお囃子(はやし)が神奈川県無形文化財に指定されている事を知る事が出来る。 東京の葛西囃子に源を発したと伝えられ、楽曲の名前などもそれと同じであるにも関わらず、素人が効くにはまったく違った別物にしか聞こえないものである。 締め太鼓、大太鼓、すり(がね)、そして笛からなるいわゆる祭り囃子であるが、小田原らしき特徴を見る事が出来るのはそのリズムと笛の音だ。 ゆっくりとしたリズムは優雅なテンポを刻み、哀愁(あいしゅう)あふれる笛のメロディーは他に聞くお囃子には無い独特の風格を持つ。この小田原囃子は聞く者にとっては同じ様に聞こえるが、太鼓の打ち方には大きく分けて二種類あると言われている。 締め太鼓の打ち方で捨て鉢という部分の手数を減らした打ち方と、そのまま全てを強弱付けて打つ方法の二種類である。 他地方のお囃子に比べ笛が一本調子、二本調子と大型の篠笛(しのぶえ)を使う小田原囃子ならではの笛の低い音程を良く通すため、後発に考え出された打ち方である。  ところで、松原神社の本社神輿が小田原市のイベントである北條五代祭りのパレードで渡御する時には実はまだ神社の例大祭は始まっていないのだ。これを証拠にパレードで渡御する神社神輿を担ぐ担ぎ手は華やかに見せるために本来の紫色の襷ではなく赤色の襷をしている。 これは御霊(みたま)が未だ神輿に乗っていないから許される演出である。本来神輿は宗教行事である神事に使われるものでありパレード等人目にさらす事を目的としたものではないが、神輿自体の芸術性と日本人ならではの手の込んだ彫刻や釘を使わない宮大工等によるミニチュア神社は、とかく人々の興味を引きつける技術であり、今日ではイベントへの参加を依頼されるにいたる事になっているのである。  パレードの中間地点の大工町(だいくちょう)商店街を通過中の最後尾を彩る四社の神輿は、一社を除く三社が横一列に並び担ぎ棒を合体させて三基連結を行っている。これはこの時しか見られない本社神輿による合体渡御(とぎょ)である。 町内会神輿による合体渡御は例大祭中には至る所で見る事が出来るが、本社神輿どうしが合体して渡御した記録は過去に例が無い。それはそのはずで、本来例大祭の日がそれぞれの神社で異なっていたのだから合体したくても出来る筈もなかったわけだ。 パレード後半は市内でも一番の繁華街である駅前通りを横断、見物客でごった返すお堀端(ほりばた)通り入口から、各神社神輿は小田原流一番の見せ場「つっかけ」を繰り返し、数百メートルは走るのである。
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