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17.タフ
入浴を終えた加賀谷泰史は、208号室に再び訪れたコーチに、この一週間蓄積していたデータをチャート化したものを見せられていた。
「………………」
息を呑み、眉根に深い皺を刻む泰史を、横目で見ながらコーチはニヤリと笑う。
「驚いたか? 俺は予測してた結果だよ」
「……」
問う目を向けられたコーチは前回、前々回のデータも並べて見せた。
「前と同じトレーニング法に戻したにもかかわらず、先週、上がっていた数値が継続している。これはなにを現す?」
「……数値の上昇はトレーニングの結果では無かった」
呟くと、コーチは満足げに頷いている。
「そういうことだな。じゃあ、もうひとつ。先々週と先週、なにが変化した?」
問われた泰史は、ますます眉間の皺を深めて考える。
定時に起床、朝トレ、食事、登校、授業後はトレーニング。
寮に戻り、食事、入浴、就寝。睡眠時間も通常通り……そうだ、なにも変わっていない。伏せ目になって自分に確かめ、コーチを見据える。
「……なにも」
必要以上に鋭くなった目を、しかしコーチは笑みを含んだ探るような目で見返した。
「そうか? ちょうど交流合宿の後くらいだ。なにも変わってないか?」
「無いです」
「俺には大きな変化があったように見えてたんだが?」
眉寄せたままキッパリと否定しても、コーチは深めた笑みのままだ。
待て。……交流合宿……?
「無かったか? 変わったことは、なにも?」
ああ。
思い当たった。忌々しい変化は、確かにあった。
「……あいつ、ですか」
「そうだよ。安原くん。彼が現れた」
うるさい犬。交流合宿で唐突に現れ、意味不明な言動を重ねる意味不明な一年。しかし、生活に変化など及ぼさせぬよう、日々をきちんと過ごしていた。トレーニングや生活のタイムテーブル、基本的な行動に変化はない。言うほどのことでは無いとしか思えない。
それ以外で言えば、若干メニューの合理化はした。しかし……
ふと目を上げると、コーチの目が楽しげに細まっている。
いや待て。コーチは練習メニューが数値に影響したのでは無いのだと言いたいらしい。では、いったいなにが。
「彼の影響は、全く受けてない?」
自分の行動は変化していない……か?
「はい。無いです」
していない。行動は変えていない。犬ごときの影響など、受けるわけが無い。
「メンタルは?」
「メンタル、ですか」
表に出しているつもりは無いが、常に苛立ちはある。たとえばトレーニングの成果が出ないこと。たとえば奥沢がうるさいこと。あるいは話しかけられてうまく返せないこと。
しかし、そんなのはいつものことだ。そこにあの犬が加わったとしても。
……そうだ、あんなもの居ようが居まいが変わらない。確かにイライラすることは増えたが、影響を受けるほどのことでは無い。
きっぱりと頷いてコーチを睨むように見据える。
「無いです」
「う~ん、そっか、自覚無いか。だがなあ、加賀谷。彼が来るようになって、おまえ変わったよ?」
どこが、と言う思いが視線を常より険しくしたが、コーチは慣れっこである。加賀谷という選手は異常なほど口が重い。しかしその目は口よりもよほど雄弁なのだ。
「この間俺が言った、余裕を持つっての、あれから考えたか?」
ハッとする。
そういえば考えていなかった。むしろ忘れていた。それどころでは無かったからだ。
なぜかあいつがフォームの解析などできるらしいと知り驚いた。そして利用するべきか考えていた。考え事に陥ると、他に意識が向かなくなるのが自分だ。それが悪いと思ったことはない。むしろ集中力があるのだと思っている。
「……考えはしたのですが……分かりません」
だがそうか、犬が騒ぎ立てた時、集中は切れた。それが僅かな隙となった可能性はある。
あの犬はその隙につけいろうと―――コッチが真剣に考え込んでいるのをいいことに、ふざけたことを言ったりやったりしやがって、ひどく苛立った。抱きついてキスしてきたり、好きだとかほざきやがった。
────それで色々どこかに吹き飛んだ。
そうだ、そういえば余裕がどうとかいう話は忘れていた。
しかし……。
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