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「考えて、……いた」
「なにを?」
そうだ。いつもならコーチの助言に理解不能な部分があれば、納得いくまで考えるのが自分だ。しかし、あのとき考えていたのは別のことだった。
「あいつをどうしてやるか、と」
「どうしてやるか?」
「利用、できるのでは、……と」
利用価値があるなら、あの犬をどうするのがベストなのか、考えていた。
どうやら自分のことを崇拝しているようなのに、言うことを聞くわけでもないし、まったく思い通りに動かない。ならば、どうにかしてうまく利用できるよう持っていけないものか。
……しかし、考えても分からなかった。
そもそも、やつがなにを考えているか不明なのだ。問いかけてみても、返る答えは意味不明すぎて、とっかかりすら掴めず苛立つばかり。
いや、それどころか、あっさり陸上部に入り込んでいる犬に愕然としなかったか。
あんな風に気安い声を掛け合うなど、自分にはできない。友人と呼べるような関係を作れているように思っていた。しかし、あいつの方がよっぽど部員らしく友人らしいではないかと、自らの足りない部分を思い知らされたように感じたのではなかったか。
そうだ、俺はまだ、友人と呼べるような間柄では無かった────
「……あいつは……自分には……」
そう、自分には足りないものがある。以前から分かっていた。
普通に会話ができない。友人と呼べる者がいないのはそのせいだろうと分かってはいた。しかしできないものはできない。余計なことに意識を向けても非生産的でしかない。
ゆえに開き直っていた。
走るのは、あくまで一人。自分自身で自分を管理しなければならない。走っているときに、誰かが手をかけたら失格となる。自分がやっているのはそういう競技だ。
孤独な自分との闘いである以上、コミュニケーション能力など必要ないだろう。
重要なのは箱根に行くこと。強いランナーになること。
それでも……高校に入って友人ができたような気はしていたのだ。……奥沢、浜名、広瀬、他にも……周囲の連中を見て、学ぼうとしていたのではないか? 焦りを覚えてはいなかったか?
「まあ、気が付いたなら良い。それにな、落ちる必要は無いと俺は思う」
笑う声で言いながら肩を叩かれ、無自覚に睨み返していた。
この気持ちが『落ち込む』と呼ぶものなのか、という驚きが目つきを鋭くしているのだが、目つきの悪さに慣れているコーチは、笑みを深めるのみだ。
「あの時は、余裕と言ったがな、緩み、と言った方が分かりやすかったかな」
「緩み……?」
「別に、なにかカッコいいことをしろと言いたかったわけじゃないよ。少しだけ、気付いてくれたら良いなとね、思っただけなんだが」
眉間の皺も凄まじく、問い返した泰史に、コーチは微笑んで肩を叩く。
「以前のおまえに無かった『緩み』が、彼と出会ってから産まれた」
「俺が、あいつの影響を受けたと?」
「あ~、つまりだな、弓を引き絞ったなら矢を放たなければならないだろう。けれど矢を放つのが今でないなら、弦を緩めなければならない。張り詰めたままでいれば、弦は伸びきって弾性を失い、いずれ切れてしまう」
意味は分かる、なにを示唆しているのかも。自分が張り詰めている、気を緩めろと言いたいのだろうが、そんなことは許容できない。
「どうすれば理想的な身体を作れるか、効率的に身体を使えるようにできるか、何度も話し合ったよな?」
「はい」
「まず徹底的にタフなトレーニング、そして筋肉が成長するのは?」
「……リカバリー……」
にらみ据えるような目で、しかし呆然と呟いた泰史に、コーチはニッと笑いかけた。
「そう。タフなトレーニングをした後の適正な休息こそが筋肉を成長させる。お前ら成長期なんだから、なおさらリカバリータイムは重要だ。それは、メンタル面でもな」
「俺のメンタルが弱いと?」
それは心外だった。固い信念でここまで来たのだ。ゆえに、眼光はますます鋭くなる。
「そうじゃない。メンタル面でも緩みが必要って事だ」
「…………」
意味が分からない。
「安原君が来ると、おまえ、気が緩むだろう」
「…………」
緩むわけではない。
呆れてまともに対応する気が失せるだけだ。
「そういう緩みが、この数値の上昇に繋がった。俺はそう考えてる」
「…………」
「おまえは迷いが無さ過ぎなんだよ。まっすぐ行くのが近道だと思ってんだろ。そりゃ、間違っちゃいないんだが……」
間違っていない、のならこのままで良いのではないのか?
そんな想いは目つきをひたすら険しくしている。
「まあいい。ともかく、数値の上昇はトレーニング方法の問題じゃ無く、他の要因があったって事。俺が言いたかったのは、それだけだから」
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