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2.サイン
幼い頃から黙々と走り、知識を高めることに集中していたせいか、父譲りの性格ゆえか、泰史は致命的にくちが重く、ちょっとした会話でも緊張してしまうのだが、そのとき顔が怖くなるらしい。
そんなつもりは無いのに「睨むなよ」「おっかねー」とか言われてしまい、中学までは、まさしくぼっち。とはいえほぼ外で走ってるからか、周りからは『孤高』的な感じで遠巻きにされてきた。
だが高校は寮だし、今までより友人を作りやすいのではと期待していた部分も、少しはあった。
それは正しく報われている……と思う。正確か否か問われれば、疑問は残るが。
去年、この交流合宿で先輩たちが世話してくれて……というかウザいくらい構われて、強制的に同学年の連中の渦に叩き込まれた。そのときは戸惑いしか無かったが、ともかく。何人か友人らしいものができているように思う。確信はないが。
こっちが一方的にそう思ってるだけで、連中は友人だなどと思っていないかも知れない。
趣味は筋トレとストレッチ、身体のコンディションを整えること。その為の情報収集も、もはや趣味の域である。
ストイックのカタマリで目つきも悪いし、軽口などたたけない重すぎる口のせいで言葉は常に足りない。我ながら面白み無い人間だ。
友人になりたいなどと思われるような人間ではないことくらい分かっている。ゆえに心情的には、未だにぼっち感覚である。
などと考えながら、そよぐ風と葉擦れやせせらぎに浸りつつ、降るような星を見上げていた耳に、
「加賀谷、さん」
いきなりの声が耳を打ち、思わずビクンとしてしまう。
これしきのことで、と舌打ちしたい気分になる。
「…………ですよね」
声は低めで、聞き慣れないものだ。
ゆっくりと顔をおろす途中、目に入ったのは、キラリと光るメガネのフレームだった。
まだ見上げた状態なのに、顔が目に入る。
(……でかい)
自分より優にアタマ一つ分背の高いやつが、そこに立っていた。
臙脂のネクタイだから一年だろう。今日一日腐るほど見たからそれは分かる。だが、こんな奴いたか?
デカいくせに軟弱ぽい。メガネのせいか? いや違う。ふやけた表情とおどおどした態度のせいだ。
「あっ、あの……っ、加賀谷さん、……ですよね」
同じ事をもう一度言う一年にイラッとした。
黙ってるから聞こえてないとでも思ったか。そもそも人に聞く前に自分が名乗れ。
そんな思いと共にため息が零れた。一年はビクッとして、一歩後ずさる。
泰史の目は切れ長で黒目が小さい。自覚はあまり無いが、不機嫌になると視線が鋭くなるのだ。
両手を臍の前あたりで組んでモジモジしつつ、一年は眉尻下げてこっちを見下ろしてる。
「あ……の……」
おい、ビビりすぎだろ。
だがそう思ったことで、泰史から緊張が抜けた。
「誰だ」
とはいえ、いつものことだが言葉は最低限である。
「あっ!」
しかし一年は、素直にハッとして猫背気味だった背をピンと伸ばし、ニカッと笑った 。
「俺、ヤスハラですっ! ヤスハライクヤって言いますっ!」
無駄に張った、ずいぶん通る声。
そして背筋を伸ばすと、一年はさらにデカかった。
一歩二歩と近づいてきて、おずおずと両手を差し出す。その手を無言で見下ろし、顔を見上げようとして、途中で動きを止めた。
視線はやつの喉仏のあたりにロックオンだ。
この身長差で顔を見ようと思えば見上げなければならない。この一年はそんな距離まで、勝手に近づいてきた。
泰史の身長は百六十八センチ。周囲の連中が、背が伸びたとき背中や膝が痛んで死ぬかと思ったなどと言っているのを良く聞くけれど、そんな経験はゼロである。年齢的にまだ伸びるのではと期待しているが、両親も祖父母もどちらかというと小柄だ。
身長は欲しい。できれば、あと十センチほど。
最も効率よく身体を動かすために必要なのは、研ぎ澄まされた柔軟な筋肉のみ。体重が増えるのは望ましくないが、若干の増加を考慮しても欲しいと思うのは手足の長さである。物理法則を流用しようと考えるなら、手足は長い方が有利だ。
……なのだが。
この一年間で伸びた身長はわずか一センチ五ミリ。
ムカつく。なんとなく、だが、
こいつムカつく。
顔上げてまで見てやる必要があるか?
ゆえに顎を引いたまま上目遣いに一年を見た。そうすると、いつもに増して目つきが悪くなる。
慣れてる奴ならともかく、初対面だとこの顔でたいていビビる。
はずなのだが。
(やっぱりムカつく、な)
この一年は欠片もビビらず、気をつけ姿勢をキープしたまま、なぜだか満面の笑みで、しかも頬は少し赤らんでいるようだ。
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