20.犬の居る日々

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 そうなのだ。あいつはなにを言おうと、自分の見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じない。やりたいことはなんとしてもやろうとするし、やりたくないことはなにを言われてもやらない。  寮でも、そういう奴だと認識されているようで、行動を制限するために交代で見張られているほどである。 「俺も撮ってよ郁也くん、カッコイイ感じで」 「えええ~奥沢さん、そんなカッコ良くないしな~」  ヘラッと言い返す犬と、わざとらしくショック受ける奥沢、周囲で笑い声が上がるのまでセットで見慣れた風景になりつつある。  奥沢をはじめとする二年、鴻上たち一年など、自分を撮れなどと詰め寄ったり、引っ張り回すなどしており、いつの間にか非常に親しくなっている。  トレーニングを終えてもまだ緊張が抜けきらなかった身体からチカラが抜けていく。見てるだけで気が抜けるのだ。  忌々しいが、犬はもう部外者ではない。個人的に目障りだと思っても排除はできない雰囲気が強く、奥歯噛みしめ無視するしかない。  奴が視界に入るとトレーニングへの集中が切れがちになるため、なるべく視界に入れないよう、視線の方向を考えながら行動せざるを得ないのだが、見ないようにしてるうちに気づくと集中に入っているので、そうなれば気にならない。  ゆえにそれで納得している。  理由は不明だが、なかなか入れない状態に入りやすくなっているのは幸いと言うべきである。祖母がよく言う『捨てる神あれば拾う神あり』とはこういうコトかと思う。  しかし。  横で騒いでいただけ、うるさがられていたはず、なのに二月足らずで、ここまで食い込んでいる犬に、忸怩たるものを感じないわけではない。  犬と陸上部員の間に、一年以上共にトレーニングしてきた自分よりも深い関わりができているのは揺るがない事実だ。  なにを言おうと覆らない。ゆえに黙っている部分もあった。 「加賀谷ぁ~、すっげぇ怖い顔になってるぞぉ~」  考え込みつつストレッチしていると、奥沢の声がすぐ近くで聞こえた。  さっきまで犬を構っていたはずなのに、馴れ馴れしく肩を抱いてきたので、無言で手を払う。 「いつもより三割増しくらい怖いって~」 「…………」  じろりと横目を向けたが、視線は泰史を通り越していた。  チラリと視線の先に目をやると、犬が鴻上たち一年と笑いながらじゃれ合っていた。 「郁也くんてさ、めちゃ楽しそうだよなあ」  眼を戻すと、奥沢は眼を細めたずいぶん優しい顔をしていた。いつもヘラヘラしているこいつが、こんな顔するなんて。 「喋ってるとチカラ抜けるっていうかさぁ、ガッチガチになってんのアホらしくなるっていうか。同じやンなら楽しい方がイイよなって気になるってかなぁ。ホント、なんでコッチ見てくんねえのかねぇ」  ため息をつく奥沢に驚いた。なんだ、どうした。 「おまえ見るみたいにコッチ見てくれたらなあ。いくらでも可愛がってやるのに」 「……やる」  思わず声が漏れていた。 「はぁ?」 「欲しいなら、やる」  そうだ。目障りでうるさい犬。欲しいならくれてやる。まとわりつかれて迷惑しているのだ。部屋に入り込んで、なかなか帰ろうとしないのを追い出すのも一苦労する。最近はなぜだか人の手を持って、勝手に頭を撫でさせたり自分の股間に持っていこうとしたりする。  相変わらず謎で意味不明で、いや、前以上にわけの分からない言動で、あいつと関わってからペースを乱されまくっているのだ。タイムが伸びたのは……いや、偶然だそんなもの。あいつが来てから集中できなくて、静かに送っていた日々が滅茶苦茶に……益など――――  ……ひとつ、しかない。  画像の解析。  いや……。
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