箱根

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 部長はいつも通りの、底意の見えない曖昧な笑みでポンポンと肩を叩いた。 『そう怖い顔すんな。おまえなら任せられると、合崎も納得したよ。いいな、頼んだぞ』  昨夜の衝撃を思い起こすと同時、今さらながら緊張が迫り上がる。ちょっと吐きそうだ。  右手が左肩に触れたのは無意識だったが、その行動は、そこに乗った重みと熱さを蘇らせた。 『急なことで悪い。でも……今日の俺が走っても勝てない。頼んだ、加賀谷。繋いでくれ』  発熱を押して見送ってくれた合崎先輩。  先輩の手は、熱かった。課せられたものが重かった。  昨夜のうちに周知が回っていたらしく、今朝、朝食を食べながら、みな強い目で激励の言葉をくれた。その言葉と背や肩を叩いた手の感触も蘇り、肩がどんどん重くなる。  合崎先輩はメンタルの強い、尊敬できる人だ。昨年は十区を走り、みごとに順位をキープしたままゴールした。誰もが今年二区を走るのは合崎先輩だと納得していた。その代わりに……なぜ俺だ。  二年生で二区を走った先達はいる。正直、錚々たるメンツ過ぎて脳内で名前を羅列するのも怖い。そこに自分が並び、チームを勝利に導く勢いをつけられるのか……。  ────電車が、鶴見に着いた。 「つきましたよ~加賀谷さん」  そんなことは分かっている。電車を降り、中継地へ向かって歩く。ウォーミングアップも兼ね、軽く股上げも混ぜつつ進む。いつも通りの行動を心がけるのだ。落ち着け。落ち着け。落ち着け。 「あはっ、やっぱ緊張してるんスね~~? うわぁ~~可愛いッス~~」 「ああ!?」  また犬がアホなことを言い出した。  最近、少しマトモになってきたと思っていたのにコイツは……  久し振りに向こう脛を蹴ってやる。 「ぁイタっ!」  少しだが、苛立ちが収まった。  深く息を吸い、吐き出す。 「行くぞ」 「えっ、待って、ちょ、久し振りの愛の鞭、もうちょい堪能……」 「………………」  ガンガン脛を蹴る。 「イタッ! ちょ、今のクリーンにヒットしすぎ、てかイタッ! いやもうイイっす、痛い痛い痛いっ! イイっす愛はもう満杯っ!!」  周囲から異様なものを見る視線を感じ、蹴るのをやめた。  緊張がどっかへ飛んでいる。犬がアホ過ぎるせいだ。  こうなったら走るのみだ。後半の急勾配を走りきるために気を付けるのは平坦部分でペースを上げすぎないこと。そうだ、何度も二区を想定して走ったでは無いか。いつかは二区を走ると決めていたでは無いか。そのときのために何度もやったイメージトレーニング。  そうだ、思い出せ。これは二区だとイメージしながら走ったのを思い出せ。  何度もやったあれをトレースするのだ。  それだけを考えるのだ。
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