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3.犬
「加賀谷っ、さぁ~ん!」
「おいおい、相変わらず声デケえな」
念入りにストレッチしながら面白がってるような声を出してるのは、同じスポーツ科二年、奥沢。
陸上の800が専門という変わり種で、ノリの軽い奴である。
「あいつ普通科なんだろ? ガタイ良いし『加賀谷さん専属応援団』とかやらせれば?」
同じようにストレッチを続けながらチラッと目を向けると、やつが二階の窓からめちゃくちゃ身を乗り出して手を振っている。無駄に注目を浴びているのだが、自覚無いのか気にしてないのか。
「つうかさあ~、ヤバいよアレ、落ちるんじゃねえの」
「……意外と落ちないぞ」
奥沢は目を輝かせた。
「なになに、それどういう意味?」
「………………」
ついさっき、スポーツ科二年の教室がある二階で、窓から身を乗り出しつつ呼び続けていたあいつを見つけた。
騒がしかったし、すぐ背後にいるのに気づいてないのにムカついたので、試しにドンと背中を押してみたのだが、落ちなかった。
それどころか逆に嬉しそうに顔を上気させ
『わあ、加賀谷さん! やっと見つけた!』
なんて言ったので、面白くなかったから向こう脛を蹴って、ここグラウンドに向かったのだ。
「加賀谷さ~ん!」
「ホラ、呼んでるぞ、加賀谷さん?」
何度か軽くジャンプして身体をほぐしながら、笑い混じりに言った奥沢がトラックへ駈けていった。
「…………」
ひとつため息をついて、自分もフィールドに戻ってトレーニングを始める。
もちろん心肺機能を上げるのは重要。
だが加えて、このところ力を入れているのは、速筋の持久力を上げることだ。
白筋と呼ばれるエネルギーを多く使う筋繊維は大きな力を出せる。これが速筋で、瞬発力はあるが消耗が激しく長時間力を出し続けられない。
赤筋と呼ばれる筋繊維は速筋に比べれば収縮がやや遅く、エネルギー消費量が少なくて持久力があり、これを遅筋という。
短距離走者など瞬発的に力を発揮するには速筋を鍛え、長距離走者などは遅筋を鍛えるというのが一般に知られているが、速筋の多い体質、遅筋の多い体質というのはある。そして速筋と遅筋では鍛える方法が異なる。
体質に恵まれたし、ずっと続けてきた訓練の成果もあり遅筋には自信がある。だが長距離で勝つには速筋も必要なのだ。
少し前までは、階段を上り下りする、山道を走り回るなどで速筋を鍛えていたが、今はフィールドをメインにしている。ネットでトレーニング方法についてのアイディアを拾ったからだ。
自分なりに考え、コーチとも相談して実践しているのだが、有効か否かを測るにはしばらく継続してみなくてはならない。誰かにとって有効なトレーニングが、自分にも有効か否かは、やってみないと分からない。単純に盲信して突き進み、結果失敗するなどという愚は避けなければならない。
箱根を走るチャンスはたった四年。誤ったトレーニングを重ねてる場合では無いのだ。
走っている間、頭は忙しい。腕の振り、腿を上げる高さを計算。肺、背、腰、腿、脹ら脛、足、それぞれの部位が、どのような状態にあるか、感覚を研ぎ澄ませ感じ取る。5分経過、10分経過、30分と経過時間ごとに状態をハンディレコーダーへ吹き込む。後でエクセルにまとめ、数値化、可視化することで、指針とするためだ。
そうして1時間経過したら速度を緩め、ジョギング程度にしてインターバルを置く。これにより遅筋ではなく速筋が多く使われるので、乳酸値を閾値近くまで上げてから、また速度を上げて遅筋を使う。5分、10分、30分、再度吹き込んでいく。
それが今日のメニューである。
「加賀谷っ、さぁ~~ん!!」
なのに10分経たないうちに集中が途切れた。バカでかい声で呼びやがるからだ。
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