箱根

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箱根

『気温は15.9度、近年まれに見る暖かさですが、山間部では風が強くなるという予報が出ています。晴天に恵まれました一月二日、箱根駅伝のスタートまであと僅かです』 「ほら見えます? 加賀谷さん」  ランニングスタイルの上にジャージを着て、フィールドコートを纏った泰史にワンセグの画面を見せながら、当然のように加賀谷担当を勝ち取った郁也が、東陵学園大学のダウンジャケット姿でヘラヘラ声をかけてきた。  強ばる顔で見つめるのは、スタート地点、大手町の映像だ。各大学の一区を走る選手がフィールドコートを脱いで、たすきを掛けたランニングスタイルで並んでいる。 「あれ? もしかして緊張してるんスか?」 「黙れ」  泰史の眉間には深い縦皺が刻まれている。  鶴見中継地で待機するため電車移動中なのだが、正直、緊張していた。  ────昨夜、部長に言われたのだ。 『合崎(あいざき)がなあ、体調崩しおった』 『……はい』  それは大変だ。  鶴見中継地からは『花の二区』とも言われる区間で、どのチームも二区を走るのはエース。今年の東陵学園大学でも四年の合崎先輩が走る予定だった。  それが前日に体調を崩し、明日までの回復が望めないとなると……、どうにかならぬものかと、泰史は眉を寄せる。  今年は補欠で、戸塚中継所で待機、合崎先輩のヘルプの予定だった。  昨年に続き五区を任されるかと思っていたけれど、選ばれなかったのだ。産まれ育った立地のおかげで日常的に山間部を走り込んでいた泰史は、山道、特に登りに強く、小田原から箱根に至る五区を走るに有利なのだ。  昨年走った五区では結果を出せたと思い、少しは自信も持っていたので、選ばれなかったことには正直落胆した。  しかし部長に言われたのだ。 『いざというとき、おまえさんが隠し玉になるのさ』  だから練習は欠かさぬよう言われたが、そもそも日々の練習を欠かすなどありえない。今年選ばれなかったとしても、来年は。そう考える泰史に休もうという考えは微塵も浮かばなかった。  ともあれ、合崎先輩が走れないとなると……経験から言って村野先輩あたりなら、と思ったが、村野先輩は九区にエントリーされている。一度エントリーされた選手は別の区間を走ることができないのだ。  補欠枠に入っている中で、二区を制することができそうなのは……そう考える泰史の耳に入ったのは、信じがたい言葉だった。 『おまえさん、二区走ってくれ』 『………………は?』 『各区間の研究してたよな? 先輩たちにレクチャーしてたよな?』  確かに研究はしている。箱根に関しては、かなりディープなマニアと言ってはばからない程度の知識がある。さらにこの寮には垂涎と言うしかない資料や記録が山ほどあるのだ。テンションが上がり、色々と口走った覚えはある。二区を走る合崎先輩にも、色々話してしまった。  しかし。  二区は駅伝のコースの中で最長距離であり、まさに最も注目を浴びる区間。二区を制することでチームの勢いが決まると言っても過言ではない。  だが、難しいコースでもある。平坦な道の続く前半のペース配分を間違えると、後半の難所で速度を落とすことになりかねない。あまたの名選手が権田坂の急勾配や戸塚中継地前のアップダウンでペースを落とし、悔し涙を噛みしめている。  知識はある。確かに有り余るほどの知識は持っている。いずれ二区を走りたいと考えていた。何度もイメージトレーニングはしてきた。二区を想定した練習もしたことがある。  が、しかし────いきなりそこを走れと?  信じられない思いで、無自覚に部長を睨み返していた。 『鴻上に偉そうなこと言ってたよな?』 『……偉そうでは……』 『同じこと、やればいいんだ。まあ頼んだよ』    確かに昨年自分が走った五区を鴻上が走ると聞いて、アドバイスはした。  高校時代、鴻上も共に山間部走り込みをしていたし、少しは気心も知れていた。自分も補欠とはいえ、練習を欠かすつもりは無かったので、一緒に登りも下りも走り、共に訓練を重ねていた。  しかし、それとこれとは話が違い過ぎる。
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