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 いつもなら最上段から宙を舞う幼稚園バスのステップだが、今日のヒデルミは一味違う。  しまりのイカレた蛇口から垂れる水滴のように、ぺたんぺたんと段を靴底で一つずつ踏むのであった。 「どないしたんや、眠いんか?」  日ごろの無茶なはしゃぎっぷりが失せたわが子の頭を母はなでた。  手の平の下でつむじの動く気配がする。 「なあ、おかん。オオサカは日本一とちゃうんか」  母を見上げた幼女の目には、涙の膜が張っていた。真っ赤だ。もう一度まばたきをすれば、ぽろりと血のしずくがころげそうなほどに。 「どないしたんや。オオサカが一番に決まってるやんか」 「せやけど、新しく来たセンセが」 「なんか変なこと言うたんか」 「まずな、しゃべり方が変や」  ヒデルミを核にナニワのママンが輪になった。  普段は各人が目一杯の音量でしゃべり倒すエンドレス井戸端となるのだが、今日は静かだ。ダイナマイトガールヒデルミちゃんをしょげさせた出来事に興味津々なのであった。 「センセがな、みんなの前で自己紹介したんや。徳川家子ですって。ほんで次にな」  トクガワ、と小さいながらも怨念のこもった声をこぼすおかん達。 「オオサカもトーキョーに負けないぐらい大きな街ですねって」  ちんと空気が冷えた。その場にいた誰もが呼吸を忘れ、まばたきを忘れ、心臓は鼓動を止めた。 「ひょ、標準語や」 「ヒデルミちゃん。そんな言葉つこたらあかん」 「口がくさるで」  モウカリマッカ ドウデッカ ボチボチデンナ ホナサイナラ(三回繰り返す)  悪鬼の言語を放った幼女に皆が手を伸ばし、声をそろえて呪文を唱えた。お祓いが施されたのだ。
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