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だとすればここからどうする。いっそ彼の奥さんに接触して、昨夜の一件を伝えてしまうのも一計だ。それと引き換えにさらに細かい事情を聞かせてもらえれば、また次にやるべきことも見えてくるだろう。
と、そこまで思案を巡らせて目を上げると、ふっと見覚えのある姿が視界に入ってきた。長身で痩せぎす、暗い眼差し。茶髪に相変わらずの黒のジャケット。右手の薬指には趣味の悪い髑髏の指輪。国塚あおいのミロワールが連れていた、あの若い男だった。
僕は慌てて彼に背を向け、顔を伏せる。しかしそれも無駄のようだった。どうやら彼がここに現れたのは偶然ではなく、はじめから僕に用があってのことだったようだ。
彼は前に回り込み、無言のまま僕を見下ろしてきた。僕は観念して、「やあ」と会釈を送る。
「何を考えてるんだ、あんたは」
そう訊かれても何と答えたものかわからず、僕は小さく肩をすくめる。そうして、逆に尋ね返す。
「今日は彼女と一緒じゃないんだ?」
「こっちが訊いたことに答えろよ」
どこか子供っぽい、拗ねたような声音。どうやら、思っていた以上に年若のようだ。ひょっとしたら二十に届いたかどうかというところだろうか。
僕が答えないままでいると諦めたのだろうか、小さく舌打ちをして「あの人は会いたくないってよ」と吐き捨てるように言った。
「そうか。嫌われちゃったかな」
「当たり前だろう。だから伝言しに来た」
「何て?」
「『いい加減うざい。とっとと消えろ』だってよ」
笑うしかないので、とりあえず笑ってみた。馬鹿にしてると思われはしないかと心配にはなったが、彼の表情はそれ以上変わりはしなかった。といっても、険悪な空気が和らいだわけでもない。
「だったらどうするんだい。今度こそ植木鉢をぶつけてみる?」
本当にそんなことをされても困るのだが、彼にはできないだろうと踏んで挑発してみた。ミロワールであり、いつかこの世から消える存在である彼女なら殺人も躊躇わないかもしれないが、普通の人間である彼にそこまでの度胸はないだろう。
……ないよね?
「その気がないのなら、ここに座らないか。君とも一度、ゆっくり話をしたいと思っていたんだ」
「俺なんかと話して、どうするってんだよ」
「君たちの目当ての相手も、今日は夜まで戻らないそうだ。だからそんなに焦ることもないよ」
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