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露草
舞台の上は息がつまる。きっと陸に上がった魚はこんな気分なんだろう。
舞台袖で己の使用人である男、榊の腕に抱かれたまま深呼吸する。複数の人間の臭いが混ざったどろどろした暑い空気で肺が満ちる。季節は秋を始めてから大分経ったはずなのにここはいつだって暑苦しくて敵わない。疲れる。
榊は花屋敷にいる他の下働きの人とは別で、専用の使用人である。足が不自由な私に色々と世話を焼いてくれる関係だ。そんな彼が心配そうに私の名前を呼んだ。
露草というのがここでの名前だ。ここの座長である椿に名付けられた。
彼女が自分とお揃いにしたいだかなんだかという理由でここの連中は花や樹木の名前だ。だから私の露草という名も本名ではない。所謂芸名というやつだ。けれど、そもそもの話だが、私に名前というものはなかった。私には両親がいない。どこかに存在はしているかもしれないが。
生まれ落ちた子供の足がくっついてるのを見て、親は驚いたに違いない。
それから悲しみ嘆き、絶望したことだろう。殺して無かったことにしようと考えたかもしれない。それでも一欠片の親の情か、人としての良心か。泣き叫ぶ小さな我が子の息の根を止めることはなく、そっと布で包み、人通りの多いところへ置いた。
それを拾われてからが私の人生だ。
花屋敷の大人だけでお酒を飲んだ時のことだ。
何の会話の流れだか忘れたが、椿に、その名前は本名なのかと聞いた。大した理由はない。他愛ない話題の一つとしてだ。私たちに花の名前を与え、見世に花屋敷という名付けた彼女の本名が気になったのだ。
彼女はなんてことはないように本名であると答えた。姓は九条、九条椿だと。
話は別にそれ以上盛り上がることなく終わり、段々と人も減り、夜も更け、飲み会もそろそろお開きとなった。
そんな面白みもない会話をふと思い出したのには理由がある。
先日、私の舞台用に衣装や髪飾りを買いに行った榊が、行った店の経営者が変わったと言った。九条の家も代替わりしたのだと。
その薄っすらと聞き覚えのある苗字に引っかかって、なんとなく調べた。
九条といえば誰もが知っているような有数の経営者の家だ。一人娘がいたが随分昔に死んでる。養子が後を継いでる。死んだ一人娘の名前は椿。九条椿。
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