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 子の腕がないのを見て、生んだ女はどう思ったことだろうか。  おぎゃあおぎゃあと産声を上げる父親の分からない赤黒い腕のない我が子。  母親がどう思ったにしろ、俺は生かされた。生かされたが、当の母親は俺が幼い頃に死んでしまった。悲しくないと言えば嘘だが、寂しくはなかったように思う。周りに多くの人がいたからだろう。  と言うのも、俺が生まれて育ったところは男が身体を売る陰間茶屋だった。  陰間茶屋と言っても一風変わっていて、男の陰間もいれば女の遊女もいるという実に入り乱れたところだった。客も男女問わなかったが、世間一般の遊郭よりかは高値だった。 だからだろうか。馴染みの客が多かった。そんな場所だったからこそ、俺は間引かれることなく、母以外にも世話してくれる連中が大勢いた。ある意味では恵まれた環境だったのだと、今ではそう思える。  幼い頃はそこで掃除や飯炊きや、陰間や遊女の世話をした。人に恵まれた店でもあったんだろう。大して嫌な思いはしなかった。遊女から、客に貰ったのだと菓子を分けてもらったり、陰間から、遊びに行こうと誘われて外を走り回った覚えもある。馴染みの客にこれで好きなものを買いなさいと金を貰ったこともあった。  腕がないということで困ることは沢山あったが、辛いということはなかった。それも一重に恵まれた環境にいたおかげだろう。人が手で行えることは足でできるようになろうと努力した。随分と苦労はしたが字を書いたり、物を掴んだり、普通に生活する分には不自由ないくらいにはできるようになった。  年頃になると陰間として店に出るようになった。腕のない男という触書きに興味を示した連中が新しい客として訪れることも多かった。老若男女、色々な人と出会い、話し、寝た。  嫌ではなかったが、別に楽しいとも思わなかった。ただただ、これが当然なのだろうと生きてきたし、当たり前の時間が当たり前のように流れているだけだった。男の骨ばった手が、女の白い指先が、俺の体のあらゆる部分を撫でていく。 そんな生活故か、人の顔色を読むことや、なんて返答したら相手が喜ぶかだとか、楽しく続けられる話題は何かだとか、そういったことを自ずと学んでいった。これは良いことだ。話下手な人を見てると余計にそう思う。  しかし、当然ながら残念なこともあった。
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