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母はいつも、病室に置かれた花束を見るたびにその悲しい感情を深める。それを知るのが嫌で、私は必死に言葉をつなげた。その時間だけが唯一、私が生きている時間だったのだ。
結局退院するころには、私は中学生になっていた。久しぶりに帰ってきた家は少し静かで、それを隠すように真新しい制服に袖を通す。初めて来た制服は肩回りが少し動かしにくかったが、それよりも体を動かすときに痛みがなくなったことに感動する。
普通の人より一か月ほど遅れて、わたしはようやく中学生になれたのだ。
リハビリやトレーニングを繰り返しても、相変わらず色の失った世界を歩くのは難しい。ただでさえ歩く機会がなかったのだ。ほんの少しの段差でも、つまずいて転んでしまう。
それでも無理を言って、私は歩いて学校へ向かった。さすがに心配だと、隣には母がついていたが。
「やっと……ついたぁ……」
息も絶え絶えに、ようやく夢にまで見た校門の前に立った。背中からは、坂道を昇る潮風と春の日差しが私を包み込んでいる。
少々古びていて、だが小学校よりも2回りほど大きい校舎。それを彩るように宙を舞う桜は、失った色も容易に想像できるほど鮮明だ。
そこから一歩を踏み出す前に、私は母と時計を確認した。校舎の裏側から響く無邪気な声。きっと今は授業中なのだろう、かすかに笛の音も聞こえる。
時計の針が示す時刻は10時55分。遅れないよう余裕を持って家を出てきたつもりだったが、約束の時間まであと5分を切っていた。
本当なら朝から登校したかったが、学校側との兼ね合いや話などの時間を設けるためにこの時間になったらしい。本当はもっと早く、みんなと授業を受けたかったのに。
、、、子供というものは単純で、嫌なことよりも楽しいことのほうがずっと頭に残るし浮かびやすい。自分が中心だと思い込んで、自分が普通だと思い込んで。
その時の私の頭には、父親が亡くなったことなど、もう残ってはいなかった。
「じゃあ、私は先生方とお話があるから、いい子でいるのよ?」
「うん!またねおかあさん!」
無事に先生と合流し、二人で教室に向かう。その背中を見ながら微笑む母親からは、幼い時の私じゃ言い表せない、複雑な感情が読み取れた。
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