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第1章出会い、そして入園 1
「ふーちゃん、ふーちゃん、今日の昼頃、桟橋で餅堀りあるんやと。いかなあかんねー。」隣の丸本のおばちゃんが、2階のベランダ越しに洗濯物干しながらうちのおかあちゃんに話しかけた。ここは、昭和41年の那智勝浦町の、ど真ん中、仲の町の僕の家である。当時那智勝浦町は、1区から6区までと朝日区や浜の宮区などに分かれていた。1区から6区までは順に大勝浦、脇入、仲の町、小坂・神明、北浜、築地の6つの区、つまり仲の町は3区である。勝浦のど真ん中今の桟橋あたり、そのど真ん中の築50年の大きな家が(えっ、自分で言うなって)僕の生まれ育った家である。僕の名前は、吉村 剛(よしむら たけし)。昭和38年9月15日当時敬老の日に実家のたたみの上で生まれた。今でこそ、病院や産婦人科で生まれるが当時は助産婦さんにお願いし家で生むことも珍しくなかった。僕の母親は吉村フサエ皆からふーちゃんと呼ばれていた。福岡からここに嫁に来た。専業主婦だった。僕の父親は明治から続くまぐろの仲買の3代目だった。
「あっ、みっちゃん、おはよう。餅堀りかん。こりゃ、いかなあかんねー。ようけ拾ろわなあかんのー。みっちゃん、教えてくれておおきによー。タケちゃんもいくかー。」おかあちゃんのそばで洗濯物を手伝っていたというか、遊んでいた僕に向かっておかあちゃんが訪ねた。僕はたけしなので、皆からタケちゃんと呼ばれていた。「うん、いくー。いっぱひろたるでー。」僕は3歳、今までに何回かおかあちゃんにつれていってもろて、餅堀りを経験している。この頃は、家を新築したり、マグロ漁船の船主さんも勝浦中に沢山おり、まぐろで大きな家をたてているおっちゃんもたくさんおりマグロ御殿と呼ばれていた。今はほとんどおらんけど。
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