44人が本棚に入れています
本棚に追加
いざ、学校生活が始まると、馬鹿みたいにふざけ合うクラスメイトが異質なものに映った。
勉強は、受験塾で先取り学習をしていたお陰で楽勝だった。常にトップの成績を維持し、教師達からの信望も厚く奨学金の対象に選ばれたこともある。
しかし、全ての出来事がピンと来ない。心動かされること無く、淡々と日々が過ぎた。
サッカー部は最悪だった。三学年で総勢100人以上の大所帯。レギュラーはボールに触れるが、要を含めたそれ以外の部員は、声を出しながらの練習見学、準備運動やランニング、ボールを磨く、重くて嵩張る荷物を運搬すること等が活動の内容だ。毎日暗くなるまで、これらの活動をする。さほど向上心の高くない要にとって、それは苦痛以外の何ものでもなかった。
中1終了間際に退部届を提出した。顧問には、『根性が無いな!』と怒鳴られたが『はい。ありません』とだけ返した。苦虫を噛み潰したような表情の顧問は、要の言動を反抗的と読み取ったようだ。しかし、要のそれは、計算も何もないナチュラルな本心からの言葉だった。とにかく、そこまで高いモチベーションは持ち合わせていなかったというだけ。
中二病とは良く言ったもので、要にも『反抗期』が訪れた中2の春。
何もかもが『嫌だなー』と感じるのに、具体的になにが嫌なのか――聞かれても、言葉に出来ないジレンマ。毎日がモヤモヤの連続で、イライラした。それでも学校では普通に過ごし、帰宅すると母親の言動にイチイチ反抗した。この頃から、学校を休みがちになった。何もかもが面倒になっていたけど、理由はハッキリしなかった。
中3の夏頃になると、反抗期も徐々に薄れていった。それと同時期、遅れ馳せながらではあったが、要にもやっと友達が出来た。登校も順調にできるようになり、それなりに学校生活を堪能した学年だった――
「なんかさー、要くんの中学時代って、ヒサンだったんだねー!」
「ヒサン? かなー? でも、こうやって振り返ってみると、自分でもつまんない中学時代だったんだなって改めて思うよ。何でもそうだと思うんだけど、『喉もと過ぎれば熱さ忘れる?』的な……その時は必死だったんだろうけど、その時の感情はあまり思い出せないなあ」
「ふーん。そんなもんなのかなー?」
「うーん……。そう言われると、僕にも責任持てないけど……」
「ホーント。要くんと喋ってると、気持ちが楽になってくるよー」
うん。こんなに容姿に恵まれている要くんでさえ、(容姿とは直接的な関係は無いにしても)自分ではどうにもならない苦しい時期があったんだね。
わたしは、その先が知りたくなったから『次は高校時代の話だね?』と、再び要くんを急かしちゃった。やっぱり、反省。
最初のコメントを投稿しよう!