キカセテホシイ。

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 いざ、学校生活が始まると、馬鹿みたいにふざけ合うクラスメイトが異質なものに映った。  勉強は、受験塾で先取り学習をしていたお陰で楽勝だった。常にトップの成績を維持し、教師達からの信望も厚く奨学金の対象に選ばれたこともある。  しかし、全ての出来事がピンと来ない。心動かされること無く、淡々と日々が過ぎた。  サッカー部は最悪だった。三学年で総勢100人以上の大所帯。レギュラーはボールに触れるが、要を含めたそれ以外(・・・・)の部員は、声を出しながらの練習見学、準備運動やランニング、ボールを磨く、重くて嵩張(かさば)る荷物を運搬すること等が活動の内容だ。毎日暗くなるまで、これらの活動(・・)をする。さほど向上心の高くない要にとって、それは苦痛以外の何ものでもなかった。  中1終了間際に退部届を提出した。顧問には、『根性が無いな!』と怒鳴られたが『はい。ありません』とだけ返した。苦虫を噛み潰したような表情の顧問は、要の言動を反抗的(・・・)と読み取ったようだ。しかし、要のそれは、計算も何もないナチュラルな本心(・・)からの言葉だった。とにかく、そこまで高いモチベーションは持ち合わせていなかったというだけ。  中二病とは良く言ったもので、要にも『反抗期』が訪れた中2の春。  何もかもが『嫌だなー』と感じるのに、具体的になにが嫌なのか――聞かれても、言葉に出来ないジレンマ。毎日がモヤモヤの連続で、イライラした。それでも学校では普通に過ごし、帰宅すると母親の言動にイチイチ反抗した。この頃から、学校を休みがちになった。何もかもが面倒になっていたけど、理由はハッキリしなかった。  中3の夏頃になると、反抗期も徐々に薄れていった。それと同時期、遅れ馳せながらではあったが、要にもやっと友達が出来た。登校も順調にできるようになり、それなりに学校生活を堪能した学年だった―― 「なんかさー、要くんの中学時代って、ヒサンだったんだねー!」 「ヒサン? かなー? でも、こうやって振り返ってみると、自分でもつまんない中学時代だったんだなって改めて思うよ。何でもそうだと思うんだけど、『喉もと過ぎれば熱さ忘れる?』的な……その時は必死だったんだろうけど、その時の感情はあまり思い出せないなあ」 「ふーん。そんなもんなのかなー?」 「うーん……。そう言われると、僕にも責任持てないけど……」 「ホーント。要くんと喋ってると、気持ちが楽になってくるよー」  うん。こんなに容姿に恵まれている要くんでさえ、(容姿とは直接的な関係は無いにしても)自分ではどうにもならない苦しい時期があったんだね。  わたしは、その先が知りたくなったから『次は高校時代の話だね?』と、再び要くんを急かしちゃった。やっぱり、反省。
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