キカセテホシイ。

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 高校には、受験をして合格した300人近くの優秀な生徒達が入学してきた。生徒数は一気に膨れ上がる。要の学年は、約500人になり、15のクラスに分かれた。因みに中学は7クラスだった。それでなくとも人の名前を憶えるのが苦手な要にとって、クラスや学年の人数が大幅に増えたことは、かなり大きな環境変化だ。 「かなめー! おまえ、部活やるの?」 「やんない。帰宅部だよ」  中学で運動部だった奴らも、高校からスポーツ推薦(・・・・・・)で入学してきた部員達とは一緒に活動できないと判断し、各々、文化部や帰宅部を選ぶ。この頃から、再び『学校に行くのがメンドクサイ』と思うようになり始めた――それが顕在化したのは、高1の二学期頃。  三者面談の折に担任からいきなり『このままでは、高3の受験時期に落ちこぼれるぞ』と言われたが、全く心は動かなかった。一緒にそれを聞いた母親は、『未だ高1なのになんて言い(ぐさ)だろうねー!』と、帰宅してからプンプン怒っていた。結果的には、担任の予言通りに事が運んでしまったわけだが、この時、母の怒りの矛先が自分に向いていたとしたら――もしかしたら、卒業すらできていなかったかもしれない……。  高2も似たようなものだったが、なんとか乗り切った。  問題は高3になってから。  要は『系列大学は、適当なことをしていても学部を選びさえしなければ入学できるだろう』と高を括っていたのだ。しかし、そうは問屋が卸さないのが現実! よりによって、一学期の2/3以上サボった要に下された沙汰(さた)は、『内部進学資格の喪失』だった。精神的に大きなダメージを受けたが、そんな様子はおくびにも出さなかった。  幾度も警告を出されていたのに、それを(ことごと)く無視してきた自覚は、要にもあったから。自業自得であることは明確だったので、何でもない振り(・・・・・・・)をして、更に学校をサボり続けた。  何故、登校しないのか? どこか具合が悪いのか? 何か嫌なことでもあったのか? 親からも、担任からも、友達からも――同じような質問を投げ掛けられる日々。しかし、一度たりともハッキリした解答を導き出すことができなかった。それは、自分自身に対しても……。 「朝、起きられないし」  そんな風に適当な言い訳をすると、呆れきった眼差しの母親に睨まれる始末だった――
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