キカセテホシイ。

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 高2の秋ごろ『このままでは、他者との関わりが断絶してしまうのではないか?』と、薄ら寒い危機感を抱いた母親が、近所に新規開店する飲食店の求人チラシを要に渡した。勿論、学校の規則では、アルバイト禁止だった。  その直前の夏休みのこと。40日余りの休暇期間中、外出したのはたったの2日間――それも、行き先はコンビニ。そんな要の行動を憂慮しての所業だったらしい。『過保護だなー』と思いつつも、主体性の無い自分を自覚していたので、何となくアルバイトを始めた。 『もしかして、バイトのせいで起きられないの?』  母親が訊いてきたことがある。しかし、決して『辞めろ』とは言われなかった。後に、『あの時バイト辞めて、学校までクビになったらアンタ行くとこなかったもんねー』と、言っていた。真理だ。  バイトは、憶えることが多くて大変だったが、初めて給料を貰った時には感動した。その金でゲーム専用PCを買い、毎月少しずつ高額なパーツを買い揃えていった。すると、自室は完璧な空間になり、ますます学校への足が遠のいた。現実逃避だ。しかし、頭の片隅では常に赤色灯が灯っていた(・・・・・・・・・)ような気がする。  働いてみて実感したのは、『高額を稼ぐためには、相応の時間働く必要がある』といった、少し考えれば誰にでもわかる事実。極めて単純明快なこと。そして、学費に当て嵌めてみた。すると、――到底このバイト代じゃ払えないよな――といった現実に、思い至った。  あと、数ヶ月で卒業できる。その為には登校する必要がある。では、登校しなければどうなるのか? 簡単だ。卒業できない(・・・・・・)だけ。それでも良いと思っているし、そう言葉に何度も乗せた。でも、本当にそれで良いのだろうか……?  悶々と自問自答した。しかし、考えることが得手(えて)では無い要は、あっという間に結論を導き出した。高3の二学期から、卒業式までの道のり――補講、追試、登校日……合計でも、約20日間登校すれば、取敢えず『卒業』できることを知った。それが、一番軋轢の少ない方法だということも。その先のことは、それから考えることにすれば良いじゃないか。  そして、卒業式の当日を迎えた。成績は下から数えて3番目。母親曰く、『アンタの下に未だ誰かがいたんだネー! 色んな意味で感動だわ』ということだったが、その声は、若干震えていたような気がする。  僕の選択は、間違っていなかったかもしれない――そのとき、初めてそう思った。
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