ソレカラ。

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ソレカラ。

 高校を卒業したわたしは、その後専門学校に入学し英語翻訳を専攻した。数多の専門学校の中からこの学校を選択した理由は、『手に職を付けたい』という希望を持っていたから。特に、他者との接触が少なく単独でできる職を目指した結果、翻訳家になれば自宅で仕事を請け負えるし最高! と短絡的に考えた。そしてこの学校は大学への単位移行可能なカリキュラム構成で、希望すれば編入対策クラスで学ぶこともできる。  わたしは人付き合いが苦手だし、集団行動が嫌い……。  ――幼稚園に入園すると『思ったことをストレートに口に出し、相手を傷つけたり怒らせたりしてしまうから困る』といった指摘を、度々受けるようになった。両親は何らかの解決策を見出すために専門家に相談したようだが、検査の結果それ以外の著しい特徴が見当たらなかったため、単に性格(・・)の問題として処理された。  しかし、それが故で集団にうまく溶け込めないわたしを憂慮した両親が考え出したのは、その特性を否定するのではなく逆手にとって『動詞が主語の次にすぐ出てきて、文の中の重要なこと(・・・・・)が早い段階で明らかになる』という特徴を持つ英会話の習得だった。その頃から、我が家では常に英語で会話をするようになった。そしてその都度、日本語に言い換えて、こういう場合にはやんわりとした表現をこんな風に使って言うのよ、と教えられてきた。  子供のわたしに対して、ふたつの言語を説明し続けた親の根性はなかなかなものだと思う。  他にも芸術分野でなら特性を個性に変換できるのではないかと、音楽や美術に関する習い事もたくさんさせて貰った。また、運動能力や学力も集団の中で適度に抜きんでていれば、多少の問題点も秀でた部分がセルフフォローして薄まるのではないかと考えた両親は、高学歴という武器を最大限に活用して独自の教育をわたしに施してくれた。  無理やり詰め込まれたわけでも、スパルタ教育を受けたわけでもなく。極々自然に生活の中で育まれたそれらは、高校を卒業するまでの学校という集団生活の場において、大きなトラブルを起こすことはなく、友達こそできなかったがソツなくこなすスキルを授けてくれた。  そして、狭い世界から社会へ続く第一歩として専門学校に通い始めると、様々な環境に身を置く人々との出会いがあった。その中でも、地方から出てきたというあるクラスメイト(・・・・・・・・)との出会いが、自分自身の描いていた進路を大きく方向転換させるきっかけとなった――
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