走行距離は10キロ

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 卓が行政書士試験合格を目指しているのは将来の生活を考えるがゆえのことである。入浴の手伝いやトイレの介助、車椅子からベッドへの移乗など、介護の仕事は重度の肉体労働。腰や膝を痛める可能性も十分すぎるほどあり、必ずしも長期間続けられる仕事ではない。これから子どもが生まれることを考えても、保険をかけておく必要がある。それに加えて介護事業に付随する行政事務は煩雑でかつかなり多い。介護の実務経験と法的知識が組み合わされば活躍の場が広がるという可能性もあると卓は考えていた。 「ただ、不法行為と債務不履行では立証責任の所在や消滅時効の期間などが違いますので、そちらはしっかり押さえて下さいね」  スピーカーからそう聞こえたとき、バックミラーに後続車が照らすヘッドライトのハイビームの光が反射された。 「全く。眩しいなぁ」  卓はついそう独り言を言う。ハイビームの光は徐々に徐々に、いや、急速に大きくなってくる。 ーーあれ?これってマズいんじゃないかな……  光が近づくスピードに一抹の不安を覚えた卓。しかし信号は赤で、しかもタクシーが一台真ん前に停まっている。 ーーあ、俺このまま死ぬなぁ……  近づいてきた光を見つめながら卓はそうぼんやりと考えた。卓の体の中ではなぜかこの瞬間だけ、時間が微分されているかのようにゆっくりと流れた。
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