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プロローグ
プロローグ
「本当に……それでいいのかよ?」
宝石のカケラのような美しい男の涙が、海流に乗って深い海の底へと落ちていく。悲しげに歪められる自分そっくりの神秘的とも言われる美しい顔を見ながら拓水は頷いた。
「もう、決めたことだから」
「そんなことをしたら兄さんはっ」
慟哭とも言える悲痛な声色が、広い海原に響き渡る。
そっと、耳に触れる。
人間とは明らかに異なる耳の形。ピンと尖り、数キロ先の遠くの音をも感知する。
(どうして……)
感じる悲しみも、ため息も人間と同じはずだ。ただ、育った世界が海か地上か、それだけの違い。
ずっとずっと思ってた。初めて人間を見た時から。
人間は海の中を知っているのに、どうして自分たちは地上を知らないのかって。
人魚と呼ばれる拓水たちの存在は、本来ならば人間に知られてはならない。だから、今までひっそりと息を潜めて生きてきた。
けれど、恋をしてしまった。
最初で最期の恋は、拓水の人生を根底から変えてしまった。
たとえ短い時を生きることになったとしても、一緒に生きていきたい人がいる。もう自分の帰る場所がなくなってしまうことになっても。
もしかしたら、自分たちの姿形がおとぎ話の人魚姫に近ければ、互いに恋愛感情など生まれなかったかもしれない。
拓水たちの一族は人魚と呼ばれる存在であるが、二本の足に人間と殆ど同じ作りの身体をしている。男女ともに美しい外見をしていて両手両足には五本ずつの指もある。
「たとえ、どんなことになっても……俺は、人間になりたいんだ。ごめん」
「拓水っ!」
そうか、人間って水の中じゃ息ができないんだ。そんな当たり前のことを考えながら、拓水は息苦しさに眉を寄せながら意識を手放した。
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