【9】ヒートの行方

3/20
4015人が本棚に入れています
本棚に追加
/262ページ
 健人は書類と悪戦苦闘しながら数日間を過ごした。警察官は捜査の能力とは別にデスクワークのスキルが必須であり、そこから逃れることはできない。その間、健人は秘書業と並行して保管庫の管理や複数の刑事と書類のやり取りをこなさなければならず、いつも以上に忙しかった。  鷺沢からは、なぜか大鐘組の捜査報告書を全て揃えるように指示され、それも用意した。  ようやく全ての報告書と嘱託書を書き終えて、刑事課のあるフロアから署長室に戻ると鷺沢が席を外していた。よく見ると執務机の上が乱れている。飲み干されたコップがそのままになっていた。  不審に思い、トイレに一歩足を踏み入れたところで異変を感じた。  頭がくらりとする。周囲に甘い匂いが漂っていた。胸が詰まされるような甘くて切ない香りだった。角を曲がると今にも膝を着きそうな制服の脚が見えた。 「――署長! 大丈夫ですか!」 「うっ……」  手洗い場の前で鷺沢が倒れ掛かっていた。シンクに手を着き、体を小刻みに揺らしている。その周囲にピルケースの中身が散乱しているのが見えた。 「もしかして、ヒートですか?」 「……すまない」 「大丈夫です。安心して下さい」  鷺沢を落ち着かせようと声を掛ける。鷺沢は浅く速い呼吸を繰り返しながら小さく喘いでいた。体が驚くほど熱く、その間もオメガの発情香である濃縮されたフェロモンの匂いが濃くなっていく。  ――まずいな……。  健人は理性を保ちながらも己の欲望が立ち昇っていくのを感じた。慌ててハンカチを取り出し、それをかぶって鼻の下で結んだ。
/262ページ

最初のコメントを投稿しよう!