10人が本棚に入れています
本棚に追加
大阪の中学に転校する前日の夜、如月哲治は妙な夢を見た。
業火に包まれる城の一室で、切腹したはずなのに痛くない。
腹からは出血もなく、手に握っていたはずの小刀もなくなっている。
そうだ、哲治は負け戦の責任をとって見事に果てたはずなのだが。
起きると、やはりそこは哲治の六畳間で、見慣れた天井が見えた。
荷物はすでにまとめられていて、今日が大阪へ向かう日なのだ。
哲治には大阪のイメージは全く無い。
関東に生まれ、関東で育った少年にはおおまかに「関西」という印象しかない。
うっすらとこぼれる涙をぬぐいながら、哲治は転勤する父親の車に乗り込んだ。
そして、車中でまた夢を見た。
鎧武者が哲治に語りかける。
「あらゆる困難には我が授ける軍略をもって対処せよ。さすれば道は開かれん」
H市立第四中学校。略して四中が、哲治の通う新たな中学だった。
転校初日の帰宅途中、哲治は不良三人組に声をかけられた。
「おう兄ちゃん、知らん顔やな、四中か? ここ通るんやったら税金もらうで」
「ピカピカの学ランやんけ、一年とちゃうか?」
「一年からカツ上げすんのはかわいそうやで、なあ金やん」
(まずは戦力分析だな)
「金やん」と呼ばれた男が一番強そうだ。体格と目つきで哲治は分析した。
「かわいそう」などと言った男はヘラヘラ笑っていて戦意が低そうだ。
もう一人はタバコを吸いつつ唾を吐いているだけの貧弱な男だ。
立っている哲治に対し、三人が座っているのが好機と言える。
(先手必勝並びに各個撃破あるのみ)
哲治は瞬時にそう判断した。
長年サッカーを続けた哲治はキック力には自信がある。
(全力インステップで鼻っ面だな)
哲治は左足を踏み込み、ニヤニヤ笑う「金やん」の顔面に強烈な蹴りを入れた。
「ぐふっ……」
「!」「?」
無様にひっくり返り、鼻血を噴き出した「金やん」は失神した。
「な、な、なんやお前、いきなり顔面蹴る奴がおるかいな!」
「か、金やん大丈夫か、こ、こらアカンで」
明らかに狼狽した貧弱男は慌てて逃げ出した。
(よし、これで一対一の五分だ)
ヘラヘラ男は「金やん」の肩を揺すりつつ、恐怖の目で哲治を見た。
(潮時だな、各個撃破のイメージは掴めたから帰ろう)
このちょっとした喧嘩が、「軍師哲治」の目覚めとなった。
最初のコメントを投稿しよう!