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(――わたしたちはきっと、何回も何回も出会ってきたににちがいないわ)
まりは思った。右側でハンドルを握る晃司の横顔を、見つからないように盗み見ながら。
(だってとてもふかく結びついているんだもの。このひとはわたしを大切に思ってくれている。わたしもこのひとのことを、とてもとても大好きなんだから)
晃司のセダンは真っ暗な山道を走る。曲がりくねった道を滑り、峠の向こうにある海を目指しているのだという。まりは初めて見るその景色に胸を躍らせている。こうして男性が運転する車の助手席に座って、遠出するのは人生で初めてのことだ。
遠くまで出向かなくても、セックスはできる。なのにただまりに海を見せたいからという理由で、晃司はいまハンドルを握っている。「わたし、旅行に行ったことがないの」と言ったまりに、「じゃあ海を見に行こうか」と言ってくれた、優しい男。
(このひとといっしょにいれば、わたしはきっと幸せになれるわ)
まりは信じて疑わなかった。生まれて初めて男の誠実を見せてくれた、晃司という名のこの男。離婚をしたのだという。けじめをつけてからまりを迎えに来てくれたこの男のために、 自分もいい奥さんにならなければと心の中でまりは決心をする。
(お料理も、がんばって)
もう何年も、包丁なんて握ってはいないけれど。
(すてきな奥さんに、ならなきゃ。きっと子供もできるから。いいお母さんになるの。きちんとお洗たくをして、かわいいお弁当をつくって。はずかしくないように。このひとに、わたしにして良かったと、思ってもらえるように)
終わりを待つだけだった人生を、救ってくれた。
この男の傍にいれば、見たことのない世界が広がる。この人生で初めての、夜の海への小旅行と同じように。
まりを知らない世界へ導いてくれる。晃司はずっと押し黙ったまま、ただ車を北へと走らせる。
普段はよく喋る男だ。この沈黙が意味するものが、まりには分からない。静寂に身を任せ、その精悍な、けれど色が褪せた横顔を盗み見る。
初めて真剣に愛してくれた男。小さな会社を経営している。この男に守られて、女として幸せな人生を歩む自分をただ想像する。
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