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「あれ?りんごちゃん?」
私を呼び止めたのはスーツ姿の男だった。その男は取り立てて特筆すべきところがない、強いて言うなら背が低い男だった。
「人違いです」
私は電車を降りる。降りたい駅よりも3つ前で。男は、と振り返るとどうやらついてきたらしい。人懐っこい笑顔、殴りたくなる。
「いや、絶対りんごちゃんでしょ。全然変わってないね」
は?こいつは私がどれだけ苦労して苦労して綺麗になろうとしているか分かってないな。私は文字通り血の滲む努力をして変わろうとしているのに。露骨に嫌な顔をしていたのか男が謝ってくる。
「ごめんごめん、変わらず綺麗だねってことだよ。てか、俺のこと覚えてない?ほら中学一緒の」
覚えてない。いや、思い出したくない。たぶんこいつは多田忠だろう。だけど私はこいつのことを忘れていたはずなんだ。
「いやー、ビックリしたよ。まさか出張先にりんごちゃんがいるんだもん。この後暇?飲みにいかない?」
ふざけるな。私は帰る。そう言って立ち去ろうとすると多田忠はある写真を見せてくる。
「いや、ね?嫌ならいいけど。俺こんな写真持ってるんだよね」
私は目を見張る。
「やめて、忠くん。私に関わらないで」
「別にいいじゃん。飲みに行くぐらい。旦那ほったらかして他の男とホテルに行く訳じゃないし」
多田忠はスマホを振りながら笑う。嫌なやつだ。あーぁ、嫌なやつだ。それでも私は多田忠に付き合うしかない。
私と多田忠は駅前の居酒屋に入る。飲み始めるとこれが案外心地いい。多田忠は私の愚痴も旦那の悪口も諭すことなく聞いてくれる。気がつくと私は調子にのってグラスを何杯も開けていた。
「じゃ、りんごちゃんそろそろ帰りな。もう日が変わるよ」
多田忠はそう言いながら料金を払う。私はもちろん払うつもりだったのだが、多田忠はやんわりと断る。
「いいよ、俺が飲みたかっただけだし」
多田忠は駅まで私を送った。
「じゃあね、りんごちゃん。旦那大切にしなよー?」
私は離れていく多田忠に抱きついた。
「ダメだよ。帰りな。りんごちゃん、君はもっと自分を大切にしてくれよ」
多田忠は私を引き離し、泣きそうな顔をしながら呟いた。私を駅前のベンチに座らせ、暖かい紅茶のペットボトルを持たせた多田忠は今にも泣きそうな顔を必死にひしゃげさせながら笑う。
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