(一)警察署

3/7
前へ
/48ページ
次へ
 壁に掛けてある「至誠」という文字が孝男の目に入った。警察らしい言葉だと嫌悪感が湧いてくる。孝男の務める銀行でも本店の役員室で見かけた記憶がある。不正を働く者にかぎって飾りたがる書だと思う孝男だ。もしも自分が運良く役員にまで上り詰めたとして、部屋に飾るとしたら、絶対に書は飾らないと決めている。いっそのことそれぞれ支店別の評価を壁全体に貼り付けてやろうか、そんな不遜な思いを抱いてしまった。  孝男の勤める銀行で、上司からの叱責に給湯室に駆け込む女子行員がいる。男子行員の殆どが、その上司に対して「そこまで言わなくても」といった顔を見せる。しかし孝男はそう思わない。どころか心内で、泣くぐらいなら手を出すなよ、と思う。己の能力以上のことに手を出して、結果失敗したとなれば叱責を受けて当然だ。過信は慢心だ、と思う。  取引企業についても同じ事を思っている。この不況の最中(さなか)、運転資金の追加融資を声高に迫る企業が増えている。本店での支店長研修時には、社会貢献をと口酸っぱく言われる。他行が手を引いた企業でも、大化けすることもあるのだからと熱弁をふるう講師がいる。  しかしその結果責任は、すべて現場の支店長にかかってくる。大口融資で本店の許可が下りたとしても、結果責任は支店長ということだ。支店長である孝男は、お客さまは大切にと、朝礼では訓示する。しかし朝礼の訓示など建前に過ぎない。本音では“危ない会社からは手を引け”そして“弱き者は市場から去れ”と思っている。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加