ひとことの温度

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「いまどき物理的な実体にとらわれて生きるなんて、拡張現実を常にオフにして生きるようなもの……かぁ」  いち早く有形体を放棄する選択をした人々のSNSを眺め、私は溜め息をついた。  言わんとすることはわかる。数年前ならまだしも、いまでは世間的にもそういう考えの方が主流だろう。大半の人間は、自分にとっての現実がそれまでは考えもしなかった方向へと拡張されていくという出来事にすっかり慣れてきており、本当に驚くべき速さで順応するようになった。  精神転送は人間を有形体という軛から解放した。人々にとっての自己の最小単位は、物理的な実体から電子的な情報体にまで極小化された。  精神転送技術の最も素晴らしいところは、有形体であるということが多様な選択肢の中の一つに過ぎなくなっただけというところだ。  人は有形体でいることもできるし、いないこともできる。使用する有形体もそれまで持っていた自分の身体である必要はないし、別の有形体への移行も簡単だ。情報体を分割すれば異なる場所に同じ自分が複数並在することすらできる。  一番大事なことは、情報体になったとしてもいままで通り有形体のままで生活するということが否定されないところだ。  人間はどんどん自由になっていっている。その過程では、新しい変化がそれまでのあり方を否定してはいけないという信条がいつの間にか共有されてきた。それまでの選択肢をなくすことなく新たな選択肢を増やすだけの変化ならば悪いはずがない、という価値観が共通の規範となった、と言い換えても良い。  そしてこの価値観に馴染めないもの、違和感を覚えてしまうものは、古い人間として疎まれ非難されるようにもなった。  一般論として、人は年を経るほどに新たな変化を受け入れられなくなる。機体化によって肉体の老いがなくなり、電脳化によって脳みそすら古くなれば換装することが可能になっても、この傾向は顕著なデータとして表れ続けたと聞く。こうした傾向は、知性というものが持つ最も基本的な性質なのかもしれない。 「私もそうなるとは思わなかったなぁ」  私は、有形体を棄てることができるという変化を、受け入れられなかった。
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