(一)誕生日

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「エアコンの効いた中での練習では、スタミナが付かないのよ」  栄子の持論は、練習生とは相容れない。趣味としてのフラメンコなのだ、栄子のようにプロを自任する者とは、一線が画される。そしてそんな練習生が増えた今、栄子の時間が削られていく。まったりとした空気が漂う中、ますます追い込まれていく。次第に険のある表情を見せることが多くなった。主宰からの注意を受けることも度々だ。  踊りにおいても、力を抜きなさいと、口酸っぱく言われる。今の精神状態では身体にも余計な負担を掛けてしまうわよと、指導を受ける。しかし栄子に納得できはしない。「嫉妬しているのよ」そう思っている。いや、思い込もうとしている。  つい先日に、十一月中旬のショー依頼が入った。代役ではあったが教室としても久しぶりのことで、大いに盛り上がった。力の入った練習が始まったのだが、栄子以外の者はすぐに音を上げた。明らかにスタミナ不足だ。といって練習量を増やすことを、皆が嫌った。仕事に影響が出ては困るのだ。あくまで趣味としての範囲を逸脱しない、それが皆の気持ちだった。結局の所、栄子の踊りを増やし、全員はラストの一曲だけということになった。  今夜は、健二が来る予定だ。栄子のためにと不慣れなフラメンコギターを演奏してくれる。CDによる演奏では、どうしても型どおりになってしまい、栄子の踊りができない。舞台では演じ手の癖がある。それぞれに微妙にテンポが違うのだ。もちろん栄子のテンポに合わせてくれる演じ手も居てくれる。しかし栄子には、健二との相性が一番だ。健二の奏でるギターの音色に包まれると、苛立つ気持ちも消えていく。  時計を見ると、八時半を指している。 「いつものことよ、あいつが約束を守ったことなんて、ほんの数えるほどじゃないの」  口に出してこぼしてみるが、誰も慰めてはくれない。気を取り直してCD機に手を伸ばした。
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