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七月の下旬になり、街に蝉の声が響き始めた。
和樹さんは相変わらず多忙な日が続いているけれど、夏季休暇は二人一緒に取れることになった。
あの一夜から、私たちの関係は変わり始めている。
これまでが嘘のように、和樹さんは私を求めてくれるようになった。
でも、何度抱かれても、私は一度も彼に「好き」と言ったことはなかった。
それを言えばようやく訪れた関係に水を差してしまうのだと、心のどこかでわかっていた。
この気持ちを口にすれば、宏樹さんから変心したと和樹さんに思われる。
宏樹さんを男性として愛したことは一度もなく、和樹さんが初恋だと明かせば、心の不実を白状することになる。
そもそも和樹さんは私の〝愛〟を信用していない。
その証拠に、彼も愛を示す言葉を一切口にしていないのだから。
最初の冷淡さがなくなったのは、このビジネス結婚をなるべく円滑に維持しようという風に考えを変えてくれたのだろう。
だから私はこの薄氷のような幸せを壊してしまわないよう、均衡を崩す言葉は口にしなかった。
彼が私を抱くぶん、元恋人と過ごす時間が減ったことは確実で、そのことに光明を見ていた。
いつか時間が解決してくれることを願いながら。
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