三月六日 昼

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 香織に恋人が出来た時もそうだった。香織がいる前で恋人の悪口を撒き散らし、耳を塞ぎたくなるような思いをしながら聞いている香織に、部屋に戻っているように言うと京子の中で悪者は再び純に変わる。  家の中には毎日雨が降っていた。傘を差しても鞄や靴はどうしても濡れてしまう。  父、俊哉(としや)は家族に対して興味を持っている様子はなかった。京子が何を言っても、夢中になっているのはテレビに映っているサッカーの試合のみ。  純は一度でも俊哉に京子の束縛を話したことを後悔している。親身になって聞いてくれているフリをしながら、結局雨が止むことはなかった。  香織が家を出て行ったのも、二人目の恋人が無理矢理家から連れ出したからだ。そのことで、一度裁判沙汰になりかけたのだった。  一人目の恋人は京子のせいで別れてしまっている。京子があまりにも悪く言うものだから、香織も心が病んでしまって恋愛どころではなくなったのだ。  別れ話を切り出したのは恋人の方だった。純はその時「だから言ったでしょ」と得意気な顔をした京子を睨んでいた。  自分が親となって感じる。実家にいる頃、心から幸せだったと断言できるだろうか。親不孝だと誰に言われても構わない。不幸だった。  頻繁に起こる頭痛と腹痛は常に精神的な不調を記すサインであり、止まらなかった。  家から飛び出して結婚した時も、アリジゴクから抜け出そうともがくアリのようだと感じてならなかった。現に、今も脱出しているのかは分からない。毎日のように着信が入るからだ。  武尊だけは同じ想いをさせてはならない。純は理想的な父親像を描き、描いた通りに進むことの意義を信じていた。  だから、家に警察が来たと受話器越しに耳にした時、心臓や肺が持ち上がった。 「警察の人はもう帰ったのか」 「ええ、さっき帰ったわ。びっくりしちゃった。あなたが何か事件に巻き込まれたのかと思ったの」  電話先でも、小さな唇が開いたり閉じたりするのが分かるほど心配そうな表情が頭に浮かんだ。  彼女は感情を言葉に乗せるのが上手いのだ。  警察が来た事情は、簡単に言えば聞き込みだ。具体的な位置は分からないが、伊藤家の周囲で殺人事件が起きたのだという。事件の内容も聞けなかったらしく、紗香はいてもたってもいられなくなって電話を寄越したのだ。
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