三月六日 昼

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 自分の学生時代を思い出そうとしても何十年か前の話だから覚えてもいない。小学三年生はこの夏に、織田信長の焼き討ち事件を学んでいるだろうか。  そもそも織田信長の焼き討ちはクーデターなのだろうか。頭から記憶を引っ張り出すのはこれほどまでに難しいとは。  もっともと言うべきか、武尊は考え込んだ顔で押し黙ってしまい、純は次の一手を打った。 「例えば、この家で一番偉いのは誰だい」 「ママだよ」  声を出して紗香は笑っていた。小学生に世帯主とか、家に一番金を入れているのは誰だという話は当然のことながら通用しないらしい。  パパはいつも何処かに行って仕事をしてる人、ママは料理を作ったり洗濯したり、たまに勉強を教えてくれる。一番偉いのはママなんだ。  でもな武尊、パパだってお風呂くらいは洗ってるんだぞ。 「じゃあママが偉い人だとしよう」  不承不承、純は言葉を続けた。 「パパと武尊は普通の人。それで、ママが突然明日から料理を作らないって言い出したら武尊はどうする」 「ええ! それは嫌だよママ」 「パパも嫌だ。だからパパは、何とかしてママに作ってもらおうと頑張る。こういうのをクーデターっていうんだよ」  ニュースキャスターの伝える記事は退屈だったのか、二人の会話を黙々と聞いていた紗香が口を挟んだ。 「ちょっと違うんじゃないかしら」 「そうだろうか」 「クーデターならもう少し強引なやり方をすると思うの。パパがママを蹴ったり殴ったりして強引に料理を作らせるとかね」  想像力の逞しい子供時代を送っている武尊は、不安な目を純に向けた。紗香は今にも大笑いしそうに肩を震わせていて、純は呆れて肩をすくめた。  むやみやたらにクーデターを口にするべきではないと武尊に学ばせながら、純もニュース番組に目を向けていたが結局殺人事件は取り扱われなかった。警察から、まだ報道するべきではないと指示でも出されているのだろうか。  武尊も飽きてきたのか、電気カーペットから立ち上がって自室に戻り、紗香もテレビを消して本棚から読みかけの小説を取り出した。  彼女は読書中の邪魔をいやに嫌い、話しかけるのは厳禁。結婚当初こそ我慢してくれていたみたいだが、武尊が生まれてからは純との会話よりも小説を優先するみたいだ。  それでも、二人で過ごす時間の方が長いおかげで夫婦仲が冷めきっているとは言えない。
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