三月六日 昼

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「ママも気にしすぎよね、私のこと。もう子供じゃないのに」  紗香の母、八重は異常に純を毛嫌いしていた。  その理由は研究をして分かる代物ではなく、純は思うに運命的に避けられているとしか思えなかった。最初の挨拶で失敗はしていない、立派な手土産は喜ばれていただろうし、家族を守るために人生を賭けると宣誓した時も言い淀みはなかった。  純と八重、二人の間を保とうとしているのは紗香一人だ。彼女の父は純を気に入っているが、軋轢を修復しようとはしない。  過去に紗香が父に相談した時、八重の難ありな性格のせいなのだとしか答えはなく、それは八重の過去に起因してるのだと言ってはいたが、純は八重の過去に興味を示すことができず話は流れた。  義母に嫌われている、その事実だけで手一杯だ。義母の過去を悔やんでやる余裕はない。会社の先輩であり、結婚生活も先輩の修一に相談してみたが、よくある話なのだという。  男が義母に好かれることは稀有なのだ。しかし孫は好かれるのだという。義母が嫌いな男と、娘が生んだ生命に対して甘いというのは、純にしてみれば不思議だった。  開かれた小説の紙が、大袈裟な紗香の息で揺れた。 「ごめんなさいね、仕事で疲れてるのに更に厄介払いも押し付けちゃうことになって。本当はあのまま私が出ればよかったのに」 「紗香だって家事で疲れてるだろうし、気にすんなよ」  多くの字句は続かない。差し障りのない空気を作ることで、純は紗香の心を守れるならば、越したことはなかった。  体付きが弱い事実は、半分が嘘で半分は本当だ。ほとんど毎日買い物にいって、趣味の読書をするくらいの一般的な体力は持っている。  心の弱さだけは八重が心配するのも無理はなく、彼女は人間の感情に敏感なのだ。相手が喜んでいる時はいいが、怒っていると気後れしてしまい、満足に話すことも出来なくなる。  大きな心配事を抱えると睡眠不足になり、一定期間彼女は憂鬱さを共にする。  もう一度紗香が小説を手にして空想に浸り始めた時はほっとした。不安が煽られると読書すら手に付かなくなるからだ。今は本を読む心は持ち合わせている。  手持無沙汰になった純は携帯端末を取り出し、地元で起きた殺人が記事になっていないかを確認した。お気に入りのニュースサイトを見ていると、栗田谷の文字が見えて条件反射で彼はその記事を押していた。
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