三月六日 昼

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「紗香、事件が記事になっているぞ」  読書中、話の内容よりも興味の湧く事柄が現実に起きたら彼女は不機嫌にならずに本を机に置く。その法則はたった今も適用されていた。二人は頬が重なる程に顔を寄せ合い、一つのモニターに注目していた。 「栗田谷の、嘘だろ中学校で起きた事件かよ」  純の母校だ。 「でも見て、被害者は教師だって。生徒を守るために犠牲になったのかしら」 「それは分からないけど、この先生なら俺知ってるぜ」  純がまだ中学三年生の頃、進路相談に付き合ってくれた先生だ。これといって深い思い出はないが、円形に切り出された顔写真を目にすると鮮やかに彼の物憂げな顔が浮かぶのだ。  浅間(あさま)高太郎(こうたろう)は評判の悪かった人間だ。生徒、保護者は問わない。  深い思い出は無かっただろうか。純はその考えを否定すべきだった。見つかったのだ、高太郎に助けられた過去が。 「浅間先生は、俺の親に抗議したんだ。あなたの子供を考える気持ちは間違ってるって、キッパリと断言した。そのせいで転校寸前までいったんだよ」 「あなたのお母さん、よく在学を許したわね。学校側が謝ったの?」 「それもあるし、当時は経済状況もあまり良くなかったから。香織が病気になって、入院費がかかってた頃だ」 「そうなの。少なくとも、あなたにとっては恩師なのね」 「よく怒られたけど。でも抗議してくれた時はさ、初めて俺に味方が出来たみたいで嬉しかったな」  記事の内容を見れば大したことはなく、事件の話はそれきりになった。純も端末のモニターを切って机に置き、紗香の肩に手を掛けた。彼女は小さく笑って言う。 「武尊も、早くお兄ちゃんになってもらわないとね。十歳くらい歳が離れちゃうけれど」 「離れてた方がいいかもしれないぜ。変に歳が近いと喧嘩も多くてこっちが大変だろ」 「あら、喧嘩をしないのも問題よ。子供は喧嘩して成長するんだから」 「喧嘩の対象が変わるだけだ」  武尊の部屋から一人分の話し声が聞こえてくる。笑い声をあげて、本当に楽しそうに友達と話している姿は悪い思いをしない。  息子は中学になるまで携帯の所持を認められていないから、その代わりに紗香が自分の携帯を貸しているのだ。武尊の友人は、母親同士の仲も気流に乗っている。互いに携帯を子供に貸し、十時までは話せるのだ。
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