三月六日 夕刻

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 修一が何らかのプロジェクトを失敗して親会社の印象を下げれば、後々大きな傷痕として残るかもしれないのだ。  考えたくもないが、倒産にもなったら大変だからこそ昨日までは手伝っていたが、今日の純は都合の良い存在ではなかった。 「結婚記念日かい、今日は」  クロスワードパズルを引き出しにしまい込んだ彼は、缶コーヒーを口にして純を見た。 「いえ、どうにも不思議な事情があってですね」 「浮気でもされたか」  そうではないと知っていながら、程度を忘れた彼の口から出てきた単語に、純の心臓が反応しないともなかった。 「ち、違いますよ。なんてことを言うんですか」  結婚前は、してからも常に純は浮気に敏感だった。仕事が忙しく帰りが遅くなるだけでなく、紗香はイエスガールだ。頼まれたら断れない人種。  常に不倫を警戒している。純に、妻を信じられない気持ちがないとはまた違う。紗香からの愛は本物で、純も多くの愛を溢れさせていて、純は盲信している。  純はトラウマを抱えていたのだ。苦い恋の味は、彼が学生の頃に思い知らされたものだ。 「知らない中学生なんですけど、僕に会いたいみたいなんですよね。家内がそれで、早く帰ってきてほしいって」  平然さを体に植え付け、一言一言慎重な口調で純は言った。 「あらての詐欺か何かじゃないの。気を付けろよ。突然親が出てきて、人の子供を誘拐したな! って言ってくるぜ」 「そんなバカな」  頼まれたら断れない人種。紗香なら幸運を引き寄せるツボもブレスレットも、脂肪燃焼を促す高値の薬品を買う未来図を描ける。  すぐ目の前で、スクリーン上に見えるのだ。今頃危険な目に遭っていないだろうか、修一はいちいち純を狼狽させた。  定時を告げるチャイムがオフィスに響いているが、ほとんどの社員はモニターの前で頭を動かさなかった。数人は休憩がてら、ビル内にある自動販売機まで足を向けている。 「何事もないといいけどな。それじゃ、嫁さんによろしく」 「何をよろしくするんですか」 「そりゃあ。また飲みに行こうなってな」  以前、半端なアクシデントで三人で居酒屋に飲みにいった事があるが、以降修一は紗香のことを気に入ってしまったらしい。純は本音では、修一をうるさく感じていたが、家に傘を忘れた自分にも落ち度はあると納得させた。
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