三月六日

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驚いた拍子に違いない。  物音で気付いた黒ずくめの人間は血だまりから立ち上がり、ナイフを投げ捨てて二人組の少年へと走って行った。私はこの三人がどうなったのかは分からない、急いで窓を閉めて震える手で携帯電話のボタンを押していたからだ。指が震えるから、まともに番号を押せない。警察か救急車か、区別も難しい。私は警察に電話をかけることにした。  おびただしい数の恐怖と戦いながら、私は脳内で文章を練り上げた。警察が出た時の説明用に。  しかし、文章は無駄になった。警察は電話に応答しなかったのだ。一秒ごとに私の疑問符は大きくなり始める。警察が電話に出ない。なかなかどうして私の恐怖心は高まるばかりであり、次に私は家内の実家に連絡しようと番号を押している最中、端末を落としてしまって慌てて拾い上げた。落とした時の物音でさっきの人間が部屋の中に入ってくると思えて、隠れる場所を探した。  リビングの机の下で縮こまっていた私は殺人鬼の音がしない事に心臓の鼓動を僅かに落ち着かせ、携帯を見た。  携帯が前触れなく振動したかと思えば、ニュース速報と書かれた通知が画面いっぱいに広がった。モニターにはこう書かれていた。 「今すぐ避難せよ。近くの空港まで。逃げて」  赤く大きな文字で。  テレビを消した私は足早に玄関に向かい、スニーカーを履いた。何が起きたのかは分からないが、ただ事ではない。お気に入りの革靴では運動能力に欠けるだろうから、いつでも走れるスニーカーにしたのだ。  外からは悲鳴が聞こえてこない。さっきの殺人鬼は何処かへ行ってしまったのだ。私は僥倖だった、殺人鬼が走って行った先は羽田空港とは別だったから。  駐車場に停まっていた車、黒いベンツに乗り込んだ私は目の前のシャッターが開ききるまで放心状態でいた。紗香(さやか)は無事だろうか。武尊(たける)はどうしている。私は紗香の実家に迎えにいくべきか悩んだ。彼女の住んでいる上星川までは車で四十分はかかるだろう。  紗香から電話がかかってこない。今は避難中なのだろうか。  それとも、母親に電話をするなと止められているのか。私の事は放っておいて、先に自分達が避難するべきなのだと。 「無事でいてくれ」  最大限に私は神の存在を祈った。都合の良い時だけ信じられる神に、どうして恩恵を受けられるのか愚かな事は考えもしなかった。
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