三月六日

7/7
前へ
/60ページ
次へ
 扉に掛けた鍵に手を触れる。  どういう訳か、鍵が開かなかった。いや、自分が開けようとしなかったのだ。まるで他人に操られているようじゃないか。鍵を開けようと思うのに、体が開けさせないのだ。  恐れているのか。何に恐れているというのだ。 「鍵が開かない」  我慢ならず私は声に出して、体を放り出すようにしてまた座った。 「開かないんじゃないんです。開こうと思えないんです。この個室は、ただの個室じゃない。我々の潜在意識そのものなんです」  声のない濁った笑いを私は作った。 「酷い匂いのする場所ですが、落ち着くでしょう。このまま一歩も外に出なければ、我々は安全なんです。貴方も分かるでしょう。ここには滅多に人が来ない。だから、もしかしたら金属バットを使う機会も来ないかもしれない」  してやられた。今朝からさっきまでにかけて有頂天になっていた私の恐怖心は、この個室に閉じ込められてから和らいだ。  いつかは死ぬ時が来る。  紗香は無事だろうか。武尊は、無事だろうか。電話をしようにも圏外だから繋がらないはずだ。しかし、圏外だというのは大きな障害にはならない気がした。  考えてみれば、私は常に圏外の世界で生きていた。それが形になっただけ。私はすぐにこの個室から飛び出して駅に向かう予定だったが、暫く折坂と一緒に過ごすことにした。  本当に奇妙な空間だ。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加