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「裕紀くん?」
思わず眉間に皺を寄せた。知り合いに会わないうちにとっとと札幌からとんずらしようと思っていたのだが、その目論見はあっけなく打ち砕かれた。油の切れたロボットのように、声のした方に振り向いた。
「おまえ、なんでここにいる」
「だって、夏休みだもん」
星野菜月の姿が、そこにあった。高校二年生の菜月は、裕紀がしている家庭教師のアルバイトにおける、生徒だった。それなりに勉強はできるし、頭の回転も早いのだが、やる気が体内で生み出されるまでに途方もない時間がかかる、ある意味で一番タチの悪い子供だ。
裕紀はこの計画を実行するにあたって、菜月の親には「ゼミ合宿があるので」と休みを告げていた。もちろん、ゼミ合宿などないし、そもそもゼミ配属は三年生に入ってからだ。嘘が八百で足りるかどうかすら怪しい。
菜月は何食わぬ顔で、きいてきた。
「裕紀くん、こんなとこで何してんの」
「おまえな、その呼び方やめろって、いつから言ってると思ってんだ」
「一万年くらい前から」
「あと二千年多かったらぶっとばしてた」
「わかってんじゃん、裕紀くん」
ふひひ、と悪びれもせずに笑う菜月に、今度は裕紀が尋ねた。
「おまえは何してんだよ」
「何もしないことをしてるよ。宿題も終わったし」
通常なら、よくやった……と褒めるべきなのだろうが、普段の菜月のナメっぷりを目の当たりにしている裕紀としては、そんな気にもなれなかった。
「で、どこかに行こうって?」
「なーんも決めてないけどね。ってか裕紀くん、ゼミ合宿じゃ……あっ」
気づいてしまった。変なところで妙に頭の切れるやつだと思ったのもつかの間、菜月がにやつきながら「ゼミ合宿なんて、ないっしょ」と眉間のあたりを指差してきた。
「どんな悪だくみするつもり」
「人聞き悪いこと言うな。……あのよ、このことは」
「言わないよー。あたし、自分の得にならない秘密は言いふらさないの」
じゃあ得になるなら言いふらすんだな、という逆説的な考えを、裕紀は頭を振ってほどいた。
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