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ガチャ、と鍵が開く音が鼓膜を震わせた。ぴんと折り目がついた浴衣に身を包んだ菜月が、ぺたぺたとスリッパの音を立てながら戻ってきた。頬が上気している。もともとが良いのか、すっぴんでも普段とさほど遜色ない。
「やー、さっぱり、さっぱり」
「そのようで」
「いいよ、次。女子高生の次にお風呂入れるなんて、超ラッキーじゃない」
「汚れと一緒に知能まで洗い流したか」
「ひどっ!」
むくれる菜月を置いて、裕紀はまだ湯気の残るバスルームに入ると、鍵を締めた。
シャワーを終え、浴衣に身を包んで出てくると、菜月はベッドの上で、ごろごろとしながら、スマートフォンをいじっていた。耳にキンキンと響く、加工された声が聞こえる。このやろう、結局またそのアプリを観てるのか。そう突っ込む気力もなく、裕紀は同じように、ベッドに身を横たえた。
ほどなく、菜月は枕元にスマートフォンを置いた。それを合図に、裕紀はベッドサイドの明かりだけをそのままにし、部屋の電気を消す。
明日には、札幌に戻らねばならない。一人ならともかく、これ以上二人で旅行する金もないし、なにより菜月を札幌に帰さなければ、本当にお縄を頂戴することになりかねなかった。こんなところでドロップアウトすることにでもなったら、なんのために苦労してレジュメをかき集め、開発経済学の単位を取ったのかわからなくなってしまう。
「起きてる?」
隣のベッドで掛け布団に包まった菜月が、声をかけてきた。
「なんだ、寝てなかったのか」
「……今日、ありがとね」
その言葉が紡がれたのは、いつものへらへらしたものではなく、夏の夜の空気みたいに、どこか湿り気のある声色だった。
「なんだよ、藪から棒に」
返事は、すぐには返ってこなかった。
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