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4 歌をうたおう
娘がうたっている。
今うたっているのは映画の挿入歌で、なかなかにソウルフルだ。つられて息子もうたう。「いえーいえーいえー」と横ノリして、セッションを楽しんでいる。
その背中を目にして、旧い記憶の蓋が開いた。
人には、それぞれの役割がある。
そのことに気づいたのは幼稚園年長の時だ。私の通っていたカソリックの幼稚園では、クリスマスに降誕劇をするのが習わしだった。聖歌隊と役者は年長組がつとめ、役は先生が振り分けた。
結果、マリア役は端正で物静かな少女がつとめた。彼女の両親はモデルで、誰が見ても美しい佇まいのマリア様だった。大天使ガブリエルや天使たちは明るく華のある子、長台詞のあるナレーターは穏やかで賢い子と、それぞれ適材適所におさまっていった。
さて、私は?
なんと、聖歌隊でソロを仰せつかった。短い聖歌の1番を私、2番をクラスのしっかり者がうたうことになった。
私はうたうことが好きだった。心置きなく大きな声が出せるというのが性に合った。おそらく舞台で怯まない度胸を買われての抜擢だったのだと、今となっては思う。当時の私には、人前でうたうことが緊張に繋がるという意識がまるでなかったのだ。
実際、本番でも私は堂々とうたってみせた。親や先生にも「よく頑張ったね」と褒めてもらい、良き思い出になりかけていた。
問題は、本番の後日起こった。
ビンゴゲームの景品だったか、父親が玩具を持ち帰ってきた。それは卵型の録音機で、ボタンを押せば録音再生ができる程度の、幼稚園児にも容易に扱える仕組みのものだった。何せ昭和の末の話だ。録音時間は30秒程度、ひどく荒い音質とはいえ、自分の声なんてほとんど聞く機会がない。私は面白がってあれこれ吹き込んだ。
ある時、私は歌を吹き込んだ。曲は例の聖歌だ。得意げにうたい終え、自分でも試しに聞いてみた。悪くない出来に思えた。録ったところで満足した私は、誰に聞かせるでもなくクリスマスの喧騒に紛れて録音機の存在を忘れてしまった。
それからしばらく経って、母が溜め息交じりに父に告げた。
「この間、どっと疲れたのよ」
30年以上前の話だが、今でも鮮明に憶えている。場所は玄関先だった。
「用事を済ませて帰ってきたら、そこにレコーダーが置いてあって」
ロマンチストの母は、家族からの『お疲れさま』が吹き込まれていると思い込んだ、らしい。期待を込めて、母はボタンを押した。
「そしたら、この子の『音痴な歌』が大音量で流れてきて」
音痴。
知っている言葉だ。
ドラえもんで聞いた。
ジャイアンが言われてるヤツだ。
ん?
下手ってことか?
私、歌が下手ってことか!
そこから先、私の脳内は大いに混乱した。
どうしよう、歌が下手だなんて知らなかった。
下手なのに、みんなの前であんな大声でうたってしまった。
ジャイアンみたいだったのかな。
でも、みんな褒めてくれたのに。
そもそも、ひとりでうたうように決めたのは先生なのに。
みんなぴったりの役をもらっていたのに。
私だけ、間違えたんだろうか。
その疑問は私の胸に落ちたけれど、怖くて誰にも真実を聞けなかった。
この日以来、私の世界に「上手にうたう」という尺度が入り込んだ。うたうことは変わらず好きでいられたけれど、心から楽しむことは少し難しくなった。
娘はうたう。息子もうたう。
上手い下手は、まだ知らずにいてもらいたい。
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