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奥から声が答えて、すぐにおかっぱ頭に着物姿の童女が暖簾を跳ねて現れた。
「なあに、若旦那」
「この子を風呂に入れてやっとくれ」
男が示した先に目をやった童女―――――お千は、明空を認めるなり目を丸くした。
「あらまあ、濡れ鼠じゃないの」
言うなりお千は明空の手を引く。
「ほら、こっち。うちの温泉は最高なんだから!」
得意げに言うお千に半ば引き摺られて、明空は柱同様磨かれた廊下の床板に足を取られそうになった。
その風呂は不思議だった。
石鹸で大して擦りもしないのに、湯を浴びると汚れが勝手に剥がれるように落ちてゆく。
微かに甘い香りのする白い湯に浸かり、すん、と鼻を鳴らす。
甘い、優しい香り。
側を通った時、あの男から香ったのと同じ。
お千は『若旦那』と呼んでいた。
「……ワカダンナ、って名前かな……。変なの」
湯気の立ち上る露天風呂で一人零した呟きは、誰に拾われることもなく消えていった。
すっかり身綺麗になり、体の芯まで温まって湯を出ると、待ち構えていたお千が浴衣を着せてくれる。
柔らかい兵児帯を後ろできゅっ、と結んで、「はい、できた」と背中をぽん、と叩かれた。
「……ありがと」
「どういたしまして。あんたの服は洗濯中だから、乾くまでゆっくりしてなさいよ」
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