平易文2.涙

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平易文2.涙

自分は滅多な事では泣きはしない。 少なくとも煩雑な日常の出来事においては。 もう良い大人なので。 ただハイハイと、日々トラブルや不都合に向かうだけ。 母を亡くしてからまともに泣いた記憶がない。 病床の枕元で一生分泣いたせいかもしれない。 あの日は子供のように泣いた。 お見舞いの日、最期の日、そして見送った日。 いくら泣いても終わりが無かった。 喉は枯れても声は止まなかった。 良い大人なのに。 だから、既に一生分泣いたと感じている。 だが、時々不思議な事が起こる。 特別悲しくもない時に、ふと涙が頬を伝う。 泣きたいわけじゃない。 悲しいわけじゃない。 それでも涙は止めどなく流れ 主人の意思に反して流れ続ける。 目の酷使が原因か。 ドライアイが原因かと、人によっては言うだろう。 でも自分にはそうと思えず、 涙が「僕の事を忘れないで」と主張しているように感じてしまう。 恐らく次に泣くのは父や姉との別れ。 あるいは妻を喪った時か。 案外自分を葬る時かもしれない。 己の最期に涙が出張ったなら大変だ。 まるで後悔しながらの退場にしか見えないじゃないか。 最期は笑って死なせて欲しい。 それが背負った、生きる苦痛に対する最大の復讐なのだから。 そんな子供の意地により、涙を懐深くにしまいこむのだ。
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