宝石

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宝石

 この街に初めて来たのは、もう20年以上も前のことになる。大好きだった祖父母が住んでいて、夏休みと冬休みに母に連れてきてもらっていた。この洋館の二階の窓から見える海があまりにも綺麗で、しばらくそこから動きたくないくらいお気に入りの風景だった。  そして5年前に祖父が、3年前に祖母が亡くなりこの洋館は主を失って寂しそうにしていた。明かりの消えた窓に、枯れた草花。使い込まれたコーヒーミルが置かれた埃のかぶったテーブル。それらを見るとなんだかとても悲しくなってしまい、新たに息を吹き込みたくなったのだ。幸運にもこの洋館は特に引き取りたがっている人もなく、母に言ってみたら「2人も喜ぶわね」と簡単に許可を得ることができた。  しばらくは別の仕事をしながら看板も出さずに珈琲を淹れる練習をしていたが、洋館の明かりに気づいた昔からの常連さんたちが次第に通ってくれるようになった。「珈琲の味がよく似てきたね」と言われることも増え、今に至っている。  店の名前は昔と変わらず『カロン』だ。看板だけは古く割れてしまっていたので、新しく作った。丸みのある木の板に、丁寧に書いた。扉の横の窓にかけたので、果たしてこの看板に気づく人がいるのだろうか、とも思うが自分では満足している。
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