カロン

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カロン

 風を切って、坂を駆けてゆく。街の向こうに見える海のきらめき。  古めかしい鈍色の取っ手に手をかけて飛び込む。ベルが揺れると澄んだ音が響き渡った。 「シュガーさん、カフェラテのスペシャルください」 「あら、いらっしゃい」  シュガーさんと呼ばれた女性は優しく微笑む。シュガーさんはこの喫茶店『カロン』の店主だ。海の見える丘の上にある小さな洋館で喫茶店を営んでいる。   どうしてこの女性をシュガーさんと呼んでいるかというと少し恥ずかしいことを思い出さなければならない。初めてカロンを訪れた半年ほど前のことだが、この年齢にありがちな変に大人ぶってかっこつけたい欲が出てしまい、おすすめと書いてあったブレンドを頼み、 「ありがとうございます、マスター」 と、お礼を言った私に対して、 「マスターだなんて、サトウでいいわよ。」 と、カウンター越しに微笑みながら珈琲に角砂糖を3つ添えたその姿があまりにも甘美で、私の脳内で即座にシュガーさんと変換されたからだ。ちなみに、初めて頼んだブレンドはとても苦くて角砂糖を3つ入れて飲んだのだった。それから学校帰りに立ち寄る日が増え、話が盛り上がり思わず「シュガーさん」と口をついて出 てしまった。密かに脳内で呼んでいたのがばれてしまい恥ずかしくなって謝ると、シュガーさんは「マスターよりそっちのほうがかわいくて好きだわ」と微笑んでくれたのだった。その日から、シュガーさんと呼んでいるのである。
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