ハッキリ言って「若い頃」になんて、戻りたくはない。

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「平成」という時代が、終わろうとしている。長い長い悠久の時を誇る「歴史の中の時間軸」の中で見れば、たった僅かの30年。その30年に対して、それぞれの人間に感慨なり、恨み辛みなり、色々と想う所は多いとは思うけれど、私の場合は美化する事も無ければ、賛美する事も無い。何故か?・・・率直に歳も取ったし、苦労も多かったし、他人様に誇れるような事をやって来た覚えもない。ただ、「一応の区切り」という事で、最近やかましい「平成の終わり」を考えれば、率直に「若い頃に帰りたくない」という「1つしかない理由」を挙げて、粛々とその時間軸の総括は出来ると思う。「地雷を踏んだらサヨウナラ」、これは報道カメラマンだった一ノ瀬泰造の有名な言葉だが、多かれ少なかれ、人は生きている証拠として、大なり小なりの「地雷」を踏んで、否、踏みながら生活しているのだと私は感じている。人間関係、金の問題、仕事の問題、また自分自身の問題エトセトラ。つい先日、日本全国で「成人式」が見られた。微笑ましく感じる面が半分、羨ましさが半分。もう世間の荒波の中、地雷を踏んでいる子もいるかもしれないが、まだ前途洋々で「怖い者なしの若人」もいるのかもしれない。 私はハッキリと「若い頃になんて戻りたくない」と言える。今もそう思うし、その思いは死ぬ迄、きっと変わる事はないだろう。つまり、「今という瞬間」の方が遥かに心地良いのだ。それは自分を美化しているのでもなく、若い頃には「碌な思い出がなかった」という事でもある。私もこの「平成の時代」に大いに地雷を踏み、地雷の威力に吹き飛ばされ、満身創痍でも何とか、踏み留まって生きて来れたのである。 「若い頃の苦労は買ってでもせよ」と、祖父母は教えてくれた。孫としてその教えを、忠実に実践した訳でもないが、結果としてその「苦労の味」を知って、大人になれた。「ルサンチマン」なんてカッコいい言葉で、語れるものでもない。 私の踏んだ地雷、それは「抑うつという病気」。誰を恨む訳で無し、病の到来を予測出来たものでもない。自分の中で消化し、病と向き合い、仲良く付き合っていくしかない。今になって「なるようになる」と一言で言えるのだが、逆に言えば「なるようにしかならない」のが、人生なんだと私はしみじみ知る事が出来た。 地雷を踏んだら・・・それも人生だろう。何一つとして同じものは無いし、永遠や絶対なんて皆無なのだから。
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