864人が本棚に入れています
本棚に追加
「どうぞ。客間はあちらです。」
「あ、有難う…」
不意に声を掛けられて、満智子は咄嗟に平静を装った。何喰わぬ顔で微笑して見せたが…何故だろう?ドキドキと脈打つ鼓動が収まらない。
…そうして。二人は暫し無言のまま、長い回廊を巡った。
漸く辿り着いた客間は、驚く程広くて涼しい。半分降ろした御簾の向こうに、美しい中庭の植栽が見えた。
サラサラと流れる鑓水。
几帳で仕切られた、二十畳の和室。
雅な和の設えに、思わず溜め息が洩れる。
茫然と立ち尽くす満智子に座布団を勧めると、少年は、何故か座卓を挟んだ向かい側に座った。
満智子は、パチクリと目を瞬かせる。
そこは本来、この屋敷の当主が座すべき場所だ。錦の座台と漆塗りの脇息が調えてあり、余所者の満智子でさえ、其処が上座であると判る。
「ちょっと、君…まずいわよ、それは。」
思わず、そんな言葉が口を突いて出た。
如何に常識に疎い少年僧とは云え、この非礼は、流石に正さずに居られない。
「其処は、当主さまの御席でしょう?勝手に座ったら駄目じゃない。」
「あぁ…大丈夫です、御構い無く。」
「当主さまに叱られるわよ!?」
「いえ、それは無いと思いますよ。だって、この家の当主はボクですから。」
「────え!?」
たっぷりと間を措いてから、満智子はフルフルと『少年』を指差して訊ねた。
「当主──?あなたが!?」
「はい。」
少年…否、屋敷の女主人である《金の神子》は、戦慄く満智子を見て、はんなり笑いながら答えた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ボクが当主の甲本薙です。以後、宜しくお願い致します。」
慇懃に頭を下げる薙に、満智子は、混乱も露わに呻く。
「甲本薙──!? あなたが《金剛首座》なの!? 六星一座の『総元締め』?」
薙は機嫌好くニコニコと笑っている。
その笑顔が、そのまま彼女の答えになっていた。
「ごめんなさい!そうとも知らず、私ったら首座さまに大変な失礼を…。まさか、こんなにお若い方が当主だなんて!! 後村くんも人が悪いわ。それならそうと、初めに言ってくれたら良かったのに!」
「気にしないで下さい。年齢不詳、性別不明で誤解されるのは、いつもの事です。慣れっこですから。」
狼狽する満智子に、あっけらかんと答える薙。そんな然り気無い気遣いすら、今の彼女には身の縮む思いだ。
最初のコメントを投稿しよう!