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「その……劉様は、薫子お嬢様の師水であるとお聞きいたしましたが」
「そうだ。私はどれでも良かったのだがな……たまの気まぐれであれに気に入られてしまったのだ。小娘特有の過ちかと思いきや、今でも追いかけてきてかなわん。……もともと、あれには大した素質がなかったからな、わざわざ手塩にかけて育てる理由もなかった。私自身、この家からは随分と嫌われていたからな」
劉にとって薫子という蕾は、どうでもいい存在であったのか。それではあまりに薫子が哀れだ。しかし、今の劉から、先ほどまでの戯れた様子は一向に感じられず、志月は咎めることもできず口を噤んだ。
「なあ、娘」
「……はい」
劉は志月を、大陸の言葉で呼ぶことがある。それがどうも猫の鳴き声のようで、口元が緩みかけるのを必死にこらえた。
「お前は、私の姓を不思議に思わないか」
そういえば、という言葉を呑み込んだ。正直、客人の名など気にしたことはない。
「陽司が、私を一族を棄てた男、と言ったこともか?」
志月は専属に指名された時の事を思い出した。確かに陽司がそんなことを言っていた気がした。となると、この男は大賀美一族と密な関係にあったということになる。であるのに、大陸の姓を持つ劉は確かに異質だと思った。
しかし、と志月は口を開いた。
「別段、気にしておりませんでした。気になったとしても、それは私たち使用人にはあずかり知らぬことです。客人に対しあれやこれやと詮索するなど、あってはならないことです」
ぽつりと答えると、劉が視界の端で瞠目した。
「――面白い事を言う」
すっと頭ふたつ分ほど背の高い劉が立ち上がり、志月の方へ歩み寄った。
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